硬派の宿命・野望篇

  • 10 «
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • » 12

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

画狂人 上村一夫展

画狂人 上村一夫展「狂人関係 - 北斎に最も近づいた漫画家」(於「下北沢GAon!」)へ。

上村一夫公式サイト

IMG_0680.jpg

私ごときが、余計なことなど何も言いますまい。
只ひたすら、上村先生の圧倒的な画業の偉大さに感嘆するのみ。

惜しむらくは45歳という若さで亡くなられたこと。
先生が「狂人関係」で描かれた北斎のように90まで存命されて、その若き日に量産された「劇画」を越えた先の「一枚絵」の境地を見てみたかった。

劇中に登場する北斎の作品と上村先生が描かれた生原稿が交互に展示されていたり、見せ方にも工夫が見られた作品展だった。

11月21日(日)まで開催中。
11:00~19:00(最終日は18:00まで)
入場無料・月曜休館

-----

また、神保町の「ギャラリー小暮」でも、上村先生の別の原画展が開催される。

「上村一夫 原画展 in ギャラリー小暮」
2010年11月13日(土)~11月20日(土)
11:00~19:00(日曜定休)

この晩秋は上村一夫が残した世界にとことん酔いしれて、そして個人的には僭越ながら、目下遂行中の創作へ向けてのモチベーションを高めてみたい、そんな心境になっている。

スポンサーサイト

さっちゃんのこと

昨夜は友人の噺家さん、初音家左吉くんが出演する「光るポンコツの会」へ。会場は神保町の古書センター内に在る「らくごカフェ」

左吉くん(以降「さっちゃん」)とは、ウルフルズのサポートを演っていた伊東 "ミッキー" ミキオ君のライブの打ち上げで知り合った仲。清志郎が大好きなさっちゃんは当時エラく老けた大学生で、普段は理学療法士の仕事をしながら夜学に通い、落研に所属してアマチュア噺家として活動していた。

そんな繋がりで彼が出演する勉強会などをたまに覗きに行ってたのだが、その時点ではまさか本当にプロの落語の世界に飛び込んで行くとは思いもしなかった。すっぱりと仕事を辞めて初音家左橋師匠に入門した時、彼はすでに30歳になっていた。
だが、そんな一見無謀な行動に対しても、正直あまり心配はしてなかった。彼の中にはそのトレードマークであるリーゼントに現れているように不屈の「ロック魂」が宿っているからだ。こういうガッツのある男はどこへ行ってもしぶとくやって行けるだろう。そんな安心感があったのは確かだ。

前座として初めて高座に上がった時は、新宿の末広亭にチューリップの花束を持って駆けつけた。私にとって彼は、言ってみればデビュー戦から見続けているヤングライオンの様なものである。

「左吉の『左』は左橋の『左』、左吉の『吉』は矢沢永吉の『吉』ということになっております...」



二つ目に昇進して早2年。さっちゃんの今後の更なる活躍を期待してます。

御礼

秋晴れの空の下、「第5回銀座あおぞらDEアート」展、無事終了しました。
ご来場下さった皆様、お運びありがとうございました。出展された作家&関係者の皆様、お疲れさまでした。

お蔭さまで開催中は天候にも恵まれ(途中、突風が吹いて所々災難に遇われた方々もいらっしゃいましたが)絶好のアート&行楽日和だったかと思います。

個人的には出来うる範囲で全力を尽くしましたが、作品の完成度の点でまだまだ至らぬことだらけである現実を痛感しました。以降これらを糧として日々精進致します。

今後ともご贔屓に!

L1020100.jpg

私的美人考










この時代(70年代後期~80年代初頭)の化粧品のモデルは本当に溜め息が出るほど綺麗だったと思う。
これは当時、私が多感だった少年故の鮮烈な経験という贔屓目な理由だけではなく、現在の視点で見ても彼女たちは現在の同世代のモデルやタレントと比較してもヒケを取らないどころか、別次元の神秘性や非日常性を纏っている。

現代の女性は一般人も含めて総じて「外面の美しさ」では、当時とは比較にならないほどレベルが高くなっていると、街の雑踏を歩いていて何時も思う(中身はよく知らんが)。
しかし、本来抜きん出た存在であるべきモデルやタレントが相対的に埋没してしまい、また情報網の発達でその神秘のベールが薄れて(あるいは「等身大」というイメージ戦略もあるだろう)増々一般女性との格差がなくなってしまった。これは80年代以降の化粧品のCMモデルが私たちと同世代のアイドルという名の「身近さ」と若さによる「瞬間風速」だけに頼ったジャリタレにその座を奪われていったとう歴史を見ても明らかである。

また、当時のCMはタイアップ曲の選定やそのマッチングが実に秀逸だった。今でも映像と音楽のセットで記憶に焼き付いているほどだ。
これは歌謡曲にとっても黄金期と呼べるような良き時代だったという相乗効果もあるだろう。90年代以降の「記憶に残らない」ツマらん音楽との安易な出来レース的ゴリ押しタイアップとはワケが違ったのだ。

後年、彼女たちが芸能人化し、たとえ加齢やスキャンダルによって神秘性をすっかり失ってゆく「その後」を見てしまったとしても、むしろ当時のCMの中で輝いていた彼女たちの姿がより神々しく感じられてしまう。それと同時に、美の儚さや無常感がじんわりとこちらの体内に滲み込んでくる。
こうして傍観者・観察者としての男たちもまた成長してゆくのだろう。

Corto Maltese

ネットオークションで購入した HUGO PRATT の代表作『Corto Maltese』シリーズ8冊が今さっき届いた。実は先週末に神保町の洋書系の書店を探しまわったのだが、どこもアメコミばかりだったり、在庫切れだったりで見つけられなかったのだ。本当に我が国ではマイナーな存在なのだな...。

灯台下暗し。手っ取り早い解決策は目の前のPCの中にあった。まったく、良い時代になったものだ。

L1010327.jpg

実物を手に取ると、その冊子自体の存在感にまず圧倒された。
すべてがA4版の大きなサイズで、ハードカバーのものはフルカラー。ざっと目を通してみたのだが、主人公のコルト・マルテーズが出没し、それぞれのストーリーの舞台となる世界各地の風俗についての解説や図版(これまたHUGOさんの手によるイラスト)もあり、ちょっとした民俗学の資料にもなっている。

以前、知人から「フランスのコミックの単行本はとても豪華な作り」だと聞いていたのだが、確かに日本のコミック文化とは一線を画す。まるでひとつひとつのコマが一枚絵のイラストと言ってもいいほど丹念に彩色され描き込まれている。おそらくどれもが単行本書き下ろし作品なのだろう。

こうやって1枚1枚じっくりと取り組めるスタイルのコミックならば描いてみたいな...現行日本システム(アシスタントを使った分業制で、雑誌に連載したものを改めて編纂する段取り)は真っ平御免被るが。

今後、BD(フレンチ・コミック)の世界から目が離せない。個人的にはまさに今が「旬」である。

HUGO PRATT

個人的に、最近めっきり以前のダイナミズムを感じられなくなっているMySpaceであるが、そんな中でも極上の出会いがまだまだあるものだと知らしめた一件。

以前、あるフランスの方からフレンドのリクエストがあり(おそらく私の作品があちらのwebマガジンで紹介されたからだと思う)その人は一般の方だったのだが、トップページに水彩で描かれた軍人と思しき男性のイラストが数点掲載されていたのだ。それがまた見事な筆さばきで、生き生きとしたキャラクターも非常に印象的だった。

それらの画像のキャプションを見ると「HUGO PRATT」の名が。

で、その人のトップフレンドを探すと、あった。筆頭に「HUGO PRATT」。
そのアイコン写真には眼光鋭き白髪の老紳士の姿があった。

早速「HUGO PRATT」なる人物のスペースへと飛ぶ。
ああ、やはりこの人が作者だ。そうか、イタリア人なのか。81歳。随分高齢だな。

そこには件の魅力的な軍人像の描かれたイラストが大量に掲載されている。それらの多くは古い雑誌の表紙で、どうやらこのキャラクターはシリーズ物コミックの登場人物のようだ。
更には本人の写真、そして軍服を着た若者のモノクロ写真が数点。

-------

HUGO PRATT(ユーゴ・プラット / ウーゴ・プラット)

1927年6月15日ヴェネチア生まれ。少年時代からコミックとハリウッド映画に魅せられていた。軍人の息子であったが、戦争と植民地主義を軽蔑し、父親の赴任地アビシニア(現在のエチオピア)に住んだ時も一時兵士にはなったが、敵であるはずのアフリカ人たちと友情を育んでいた。
イタリアに戻ってからコミック作家となったが、国土を引き裂く内乱の愚を見ていられず、1949年にはアルゼンチンに移住し、コミックの仕事を続けた。アメリカン・コミックや西部劇を愛するユーゴはアメリカ、西インド諸島、南米を旅し、ネイティブ・アメリカンたちと親交を深めた。

1960年、ロンドンに移り、1962年にイタリアへと帰国した。ジェノバのパトロン、フロレンツォ・イヴァルディから資金を得て、1967年に初めてコルト・マルテーズが登場する『The Ballad of Salt Sea』を出版した。
1970年からはフランスに住み、コルト・マルテーズをシリーズ化し、自身の体験から生まれた世界中を股に駆けるヒーローは読者からも評論家からも高い評価を得ることになり、15ヶ国語に翻訳された。1984年からはスイスに移住するが、コルト・マルテーズにより世界的な成功を収めたユーゴは遊牧民のように旅を続け、カナダ、アフリカ、大平洋諸国と世界を駆け巡り、1995年8月20日、癌のため死去した。


HUGO PRATT(MySpace)
コルトマルテーズ(映画版)

------

そんな大物だったのか...すでに亡くなっていたとは残念だ。
しかし、これまで彼の存在はまったく知らなんだ。フランスのコミック"BD"(「バンド・デシネ」の略)の作家では大御所のメビウスが昔から有名だけど、余程突っ込んだマニアじゃないと彼の地の業界の状況はよくわからないものだ。ガキ向けのくだらない現行国内コミックの情報なんてどうでもいいから、メディアはこうした海外の良質な作家の作品をもっと積極的に紹介してくれと言いたくなる。

それにしてもHUGOさんの描くコルトマルテーズの魅力的なことよ。同時に、彼の半生も実に興味深い。まるでヘミングウェイやハメット、フォーサイスを彷彿とさせる「行動する作家」だ。
遅ればせながら惚れ込んだ。今後、彼の作品についてさらに調査しなくてはならないだろう。

とにかく、まずは彼の描いた「一枚絵」を、一人でも多くの方々に見て頂きたい。



イギリスの海兵とセビリアのジプシーの間に生まれたコルトマルテーズはその素性さえもがとても興味深い。弱者の味方で抜群のユーモアのセンスと気品を兼ね備えたコルトマルテーズは伝説のヒーローであり、名誉を重んじる英雄だ。冒険を求めて旅をするのではなく、冒険が彼を求めてやってくるのだ。自由と人権を尊重し夢と宝を手にするため世界中を旅をする。

swatch eye onlyさんのエントリー「コルトマルテーズについて知る」より抜粋)

続きを読む »

分別

「芸術」とは、即ち「暴力」であると私は認識している。
なにしろテメエの身勝手な自我を、臆面もなく他人様の眼前に無理くり叩きつけるのである(挙げ句は賃金をむしり取る場合もある)。これはまるで説教強盗か辻斬りのようなものではないか。
その結果、自身も一連の反動により様々なリスクを負うことに至るのは自明の理である。
斯くして「暴力」による破壊行為は自身の内外へと波及してゆく。それは生命を奪うことすらある。

よって、「芸術」の真の危険性を知る者は、その言葉を軽はずみには口に出さないものだ。
分別なき者、あるいは限定された領域のみで矮小な風呂敷を広げて充足している手合いが形式的にその手のお題目をありがたがって唱えているに過ぎない。世渡りの免罪符的に。

覚悟を決めた者たちは黙々と自身の目的に向き合い邁進している。余計な「額縁」など無用とばかりに。
私が目指したいのはそんな愚直で簡潔な生き方だ。

 | HOME | 

■ プロフィール

泰山 / TAIZAN

Author:泰山 / TAIZAN
I'm a man.
I'm just an average guy.

■ 最新記事

■ 最新コメント

■ 最新トラックバック

■ 月別アーカイブ

■ カテゴリ

■ RSSリンクの表示

■ RSSリンクの表示

■ 検索フォーム

■ RSSリンクの表示

■ ブロとも申請フォーム

■ QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。