硬派の宿命・野望篇

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『華の乱』から得るもの

先日、或るお友達とのメール書簡で有島武郎の『小さき者へ』の話題が出た。

当方、恥ずかしながら本作はこれまで未読であった為、早速「青空文庫」にて電子書籍を入手。年代的に著作権がすでに失効した作品なので無料であった。布団に入りiPadのディスプレイに目を走らせる。

有島が、自身と亡き妻の思いを、残された三人の子供たちへ切々と伝える私信のような短編(エッセイと言って良いのだろうか)。今の私にとっては、有島の親としての深い情愛をとても身近に感じ取ることが出来、じんわりとその内容が心に染み込んできた。

その後、また別の友人との電話での会話で『小さき者へ』を読んだという話をした。映画に詳しい彼は私にこう言った。

「有島武郎ですか。今のこのタイミングならば『華の乱』をご覧になるのもいいのでは?」

実は『華の乱』は公開当初(88年)、あまり良いイメージがなかった。
その理由は有島役の松田優作に違和感があったからだ。

これは何も、有島と優作とではあまりにイメージがかけ離れている...なんて高レベルな次元の話ではなく、単に餓鬼の頃から馴染んでいたアクションスターとしての「我らが兄貴」である優作が『陽炎座』以降にシフトした文芸路線にあまり良い印象を持っていなかった...という極めて身勝手で幼稚な無い物ねだりからの反発でもあった。

故に、優作が亡くなった直後に衛星放送で追悼という形で放映された時を最後に、本作を改めて観てみようという気がまったく起こらなかった。それからおよそ20年。

本作のおおまかな流れとして、主人公である吉永小百合演ずる与謝野晶子と、緒形拳演ずる夫・寛(鉄幹)を中心に、明治・大正期を華麗に生きた作家や文化人たちの愛憎とその末路を群像劇として描いている。

中でも重要な役所は、晶子に亡き妻の面影を重ね合わせ淡い恋心を寄せる有島武郎。何不自由の無い家柄に生まれながらも、自身の経営する農場で働く貧しい農民たちに共感するものの、しかし実際問題として自分は社会構造的に何も解決することが出来ないというアンビバレンツな苛立を背負い込んで悶々としている悩めるヤモメ文人を、当時30代後半の優作が白髪混じりの老け役(それでも『アラビアのロレンス』ばりにバイクを操ってアクションシーンを魅せるところなんて深作欣二監督の出血大サービス?)で演じている。

常に生と死の境界線上で揺れ動いている有島だが、晶子との出会いでその気持が「生」に傾くことになる。有島にとって晶子は希望だった。同時に、有島に惹かれる晶子。しかし彼が最終的に選んだ道は息子たちを残して愛人と心中自殺を遂げることであった。

今改めて観ると、優作は晩年にこんな境地に辿り着いていたのかと、ようやくオールドファンとしてそのことを受け入れられる自分に気付く(それでも成田三樹夫との絡みはつい工藤ちゃんと服部さんの絡みを思い出してしまったが...これは仕方ない)。そして思いの丈を込めて子供たちに『小さき者へ』を書き下ろした父親としての有島の、極めて作家的な末路に「男」という生き物の宿業を見た気になった。

人間、親になったぐらいでそう根本的に変わるようなモンじゃないのよね...ということだ。しかし、だからこそ自分にとって『小さき者へ』の言葉のひとつひとつが余計に胸に突き刺さる。これは間違いなくリアルな一人の小さき人間の肉声だ、という意味で。

ラスト、与謝野一家を関東大震災が襲う。家々は倒壊し、街のあちらこちらからは業火が立ち上る。辺り一面死体の山。10数人の子供たちと書生と共に瓦礫の山を前に立ち尽くす与謝野夫妻。行き交う人々は口々に根拠なきデマを吹聴し続ける。

そこへ、憲兵に連行された社会主義者の二人の男が通過してゆく。殺害された大杉栄を通じて彼らと顔見知りだった晶子は馬に引かれている二人に駆け寄り握り飯を手渡し「生きていて下さい!生きて!」と懇願する。

その姿を眼前にし、総選挙で落選した後、作家としても長らくスランプで放埒な日々を過ごしていた寛が、晶子を抱きしめながら呟く。そう、まるで『虹の谷の五月』で、物語の大半に於いて酒浸りだったラモン・スムロンが、最後の最後に目醒めたように。

「船が沈んでも、国が滅んでも、私たちは生き続けなければね」

そして子供たちを先導しながら高らかに宣言する。

「さあ、家を立て直すぞ!みんな手伝え!」



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『大激闘マッドポリス'80』30周年記念イベント

一昨年、創刊準備号の表紙イラストを担当させて頂いた『映画時代』さんが主催されているイベントへ、春に開催された「『探偵物語』30周年記念」に引き続き伺って来ました。

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闘う映画ZINE「映画時代」Presents
巨大な悪、ジャパンマフィアを壊滅せよ!
火曜9時の茶の間に殴りこんだ
“東映映画”=前代未聞のスーパー・ポリス・アクション降臨30周年記念
東映ファンが、NTV火曜9時マニアが――!
全員腰を抜かすスーパー・トークセッション、マッドポリス'2010――開催!

“大激闘 Strke Back!!!!!!!!!!!!!!!”
2010年12月4日(土)16:00より、人形町三日月座にて開催!

【トークセッション出場者】
山口剛(『大激闘』プロデューサー)
当時、日本テレビに籍を置き、石原プロの名作『大都会』を超えるアクションを!と『大激闘』を企画。

柏原寛司(『大激闘』脚本)
シリーズ中でも人気の高い、「破壊」「脱獄」などの名エピソードを手がけ、メイン.ライターの一角を担う。

杉作J太郎
男の墓場プロダクション代表にして、名著「ボンクラ映画魂」「仁義なき戦い 浪漫アルバム」「東映ピンキーバイオレンス浪漫アルバム」などを上梓した、東映魂の伝道者。このトークセッションの聞き手として、これ以上の人選は望めまい。

瀬戸恒雄
『大激闘』プロデューサー。東映で数多くの不良性感度爆発映画を製作。

_____

上記のゲストに、当時出演されていた片桐竜次氏も当日飛び入りされて、少年時代よりブラウン管の向こう側で目撃し続けていた1ファンとしては驚喜しました。

まさに私はリアルタイムで日テレ火曜9時枠にて前番組の『探偵物語』から『大激闘マッドポリス'80』にバトンタッチする瞬間を目撃していましたが、その時の色んな意味での「衝撃」は今でもハッキリと覚えています。それはこの日「視聴者代表」としてトークセッションに参加されていた杉作J太郎氏が仰られたように「こういう番組を待っていた」というような開放感と気持の高揚をその時確実に感じてました。

製作者側の皆さんは「悪評紛々だった」と仰られてましたが、当時の小僧の感覚としては全然OKと言いますか、それまでに『大都会シリーズ』やコミックの『ワイルド7』などで「合法的に悪を懲らしめる」「暴力には暴力」というアプローチに免疫が出来ていたのでスンナリと受け入れられていたと思います(それ以前に、その頃通っていた中学が構内暴力の嵐という「常在戦場」という状況で、日常的に暴力に馴れっこになっていたとう状況があるかも知れません)。やはり声の大きいその頃の大人たちの脊髄反射的な意見だけを伝えていたのでは、受け手側の真意は伝播しなかったのだなと痛感した次第です。

トークセッション終了後、宴会にて出場者の皆様とお話させて頂き、やはり男は「やるべき時」に全精力を注ぎ込んで「やるべき事」をやってナンボだという感想を持ちました。そうすれば、何時か何処かで誰かが評価してくれる、という希望を(熱狂的なファンの方々とはまた違った感想かも知れませんが)同じモノ作りする人間の端くれとして実感しました。

主催の「活檄プロダクション」の皆様、お疲れさまでした。
次回のイベントも期待しております!

_____

20数年来、その活動を通じて多くの勇気を頂いてきた杉作J太郎氏にご挨拶。新刊購入して以来大事に所有していた著作の『ボンクラ映画魂』にサインをして頂く。まるで「ダルマの目玉」を入れるかの如く、購入から14年の年月を経てようやく署名本と相成った次第。杉作さん、ありがとうございました。

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Chicken George

前回の「Family」からの続き。

トビー(クンタ・キンテ)は娘にキジーと名付けた。
キジーは16歳の時に他の農園に売り飛ばされる。彼女は其処の農園主に陵辱され、やがてジョージという男の子を産んだ。

成長したジョージは実の父親である(当初、彼はその真実を知らない)農園主と共に闘鶏に明け暮れ、やがて周囲から「チキン・ジョージ」と呼ばれるようになる。
(まるで『虹の谷の五月』のトシオ・マナハンのように)闘鶏で身を立て名を売った彼は、やがて海外生活を経て奴隷から自由の身となって息子たちの前に現れる。時代は南北戦争の終結と共に、奴隷解放へ向けて大きく変転してゆく...

重苦しかったクンタ・キンテのストーリーに、ぱっと明るく陽性な彼の孫の「チキン・ジョージ」が登場した時、当時少年だった視聴者はどれだけ救われたことだろう。




もし「チキンジョージ」が現代に生まれていたら、こんなファンキーな爺さんになったかも知れない。「Cock a doodle doo!!!」と、そのバイタリティで一族郎党を牽引する陽性な男。

ルーファス・トーマス - goo 音楽



Family

私の少年時代に、米国で大ヒットしたTVシリーズとして鳴りもの入りで放映された『Roots(ルーツ)』。アメリカに於ける黒人に対する人種差別の歴史をこのドラマを通じて初めて知った。

西アフリカから奴隷として北アメリカへ強制連行されたクンタ・キンテは「トビー」という通名を与えられるが、自由への意思の強い彼は度々農園からの脱走を繰り返し試みる。

人一倍健脚な上に不屈の心を持った彼を畏れた農園主はその挙げ句、二度と脱走が出来ないよう右足の先端を斧で切断してしまう(その際クンタは「足を切るか、男性のシンボルを切るか」の決断を迫られ、結局足を選んだ)。

不具になりながらもクンタ・キンテは「何時かは自由の身となる」という希望を捨て切れず日々を悶々と過ごしていたが、そんな彼を「この土地」に踏み留まろうと決意させたのは「家族」。妻と生まれたばかりの娘の存在だった。

クンタは娘に、自分の出自・家系(ルーツ)を詠み聞かせる。
それは娘から孫へ、そしてその子供たちへと伝承されてゆくこととなる。



追悼... デニス・ホッパー

10代の頃、初めて『イージー・ライダー』を観る前はその前評判に期待いっぱいだったのだが、観賞後は正直、周囲の人間たちが大騒ぎしているほどの感銘は受けなかった。その気持ちは今現在も変わっていない。

何よりデニス・ホッパーと言えば、私の場合は断然『地獄の黙示録』での戦場カメラマン役が強烈に印象に残っている。ブラックのニコンFをはじめ、「こんなに必要あるのか?」というほど大量のカメラを首からブラ下げているその異様な姿は、まさに戦場に於ける人間たちの狂気を象徴していたように思う。

まだ駆け出しだった50年代にジミー・ディーンと共演していたのは有名な話。いかなる時代に於いても常に危険な匂いを発散続けた男の、その長く波瀾万丈な人生がここに幕を閉じた。

R.I.P.

L1020352.jpg

我が家のカメラ総動員で、僭越ながら『地獄の黙示録』の真似してみました。

贖罪

先週は風邪をこじらせて丸一週間を棒に振ってしまいました。
多忙な時期を過ぎていたので仕事には影響がなかったのが不幸中の幸い。

そんなこんなで、熱でボーッとした頭でもってPCに向かっていた日々。
回転しない脳味噌で思い付きでYoutubeを検索していると、昔馴染みのアニメの名場面を発見。

思えば『伝説巨神イデオン』は少年時代の自分がリアルタイムでTV放送を追って真剣に観ていた最後のアニメ作品。確か80年代初頭の放映だった筈。
この頃から「オタク」という言葉が世間的にクローズアップされ始め、そんな彼らの不気味な生態を目の当たりにして強烈な違和感を感じ始めた私は「一緒にしないで貰いたい」とばかりに、以降この世界から完全に距離を置くようになりました。

今でこそ世界的にも堂々と通用する「オタク」という概念ですが、当時どれだけその存在が一般から疎まれ蔑視されたか。また、自分もそんな世間の風に流されオノレが大切にしていたものを平然と裏切り足蹴にしていたという事実を「なかった事」として有耶無耶にするのではなく、共に背負い込んで生きてゆく覚悟を持たなくてはと痛感してます。勝ち馬に乗っかる、のではなく。

そういえば私が最も好きな登場人物"ギジェ"も裏切り者だった...実に神々しい死に様ではないか。



ほっと一息 #1

久し振りに聴きたくなった "Taxi Driverのテーマ (Reprise)" 。
本編テーマの重厚さも無論好きだが、こちらのいかにも70年代アメリカ映画的軽妙さにもまた違った味わいがある。



劇中でデ・ニーロが着用しているのと同じタイプのUSタンカース・ジャケット(復刻物・ワッペン無し)を10年ほど前に購入して今も所有しているが、これは気を付けてコーディネートしないと只の野暮ったいおっさんジャンパーになってしまうので要注意だ。

花神

個人的に、リアルタイムで観たNHK大河ドラマ群の中で最も秀逸だったと思うのが『花神』のテーマ曲。実に勇壮。

そういえば、建設業界に居た頃の恩人である大の"クラシック・キ◯ガイ"(自称)のH氏が「あの曲はクラシック音楽的な視点から判断しても名曲です!」と太鼓判を押していたっけ。いい耳してたな、餓鬼の頃の私。

『遠山の金さん』と本作で、中村梅之助は私の永遠のヒーローとなった。




実は初めて第1話からラストまで通しで観賞した大河ドラマが本作だった。
最初に体験した同シリーズの作品は前年の『風と雲と虹と』であったが、同じNHKで放映されていた人形劇『真田十勇士』を観て歴史物に関心を持ち、この時は祖父に勧められて放映途中から観始めた格好だった。

私自身は取り立てて司馬遼太郎とその作品に特別な思い入れはないが、世のエスタブリッシュメントな方々からの支持が非常に高い作家だという事実は以前から認識してはいた。以下はそれを証明するエピソード。

2年ほど前。私の父親と、彼と同世代の男性と3人で同席した時のこと。
酒が入って話も進み、唐突に父親の口から『坂の上の雲』の話題が出た。

正直、私は驚いた。
何せウチの親父は、私が餓鬼の時分より、読書している姿など家族には一切見せない男だったからだ。書物に目をやるような時間があれば、その分身体を動かせよバカヤロー、というアッパーな思考の人間だとばかり思っていた。
若い頃は出張が多かったから、移動中や旅館ででも読んでいたのだろうか...うーん、いまだに想像出来ない。

こんな仕事漬けの毎日を過ごしていた男にもしっかり愛読されていたなんて、やはり司馬は"国民作家"と呼ばれるだけの存在だったのだ...なんて関心してしまった一幕。

黄金の日日

個人的にNHK大河ドラマ史上No.1の作品だと思っている『黄金の日日』(78年)が昨日23日(水)から時代劇専門チャンネルで再放送開始されました。
月曜~金曜の12:00 / 0:00の1日2度の放映。

旺盛な行動力と才覚で貿易商としてのし上がってゆく主人公・助佐(市川染五郎・当時)も無論魅力的ですが、何といっても脇を固める登場人物の描写が素晴らしい。まさにこの時代ならではの豪華キャスティングです。

中でも近藤正臣演ずる石田佐吉(三成)と細川ガラシャ(島田陽子)との悲恋は「本当にこれが大河ドラマなの?」と思ってしまうほどのメロドラマ的な美しい色彩を帯びていて必見。
そもそも私は恋愛ものというジャンルにはまったく興味がないのですが、この二人の関係と三島由紀夫の『春の雪』だけは特例なのです。

天下人となり変節してゆく秀吉(緒形拳)の下で苦悩し続ける治部様の姿は物語後半の見所。この作品一発で近藤正臣のファンになりました。



私の好きな映画のシーン #2

『Mean Streets』('73)


悪童・ジョニーボーイ(デ・ニーロ)が本編に初登場する場面。
以降のスコセッシ作品でも頻繁に使われる、どんよりと粘りつくような深紅のライトに照らされたナイトクラブ空間に、まさにBGMで流れる"Jumpin' Jack Flash"的な「厄難」をもたらす存在のジョニーボーイが、主人公チャーリー(ハーヴェイ・カイテル)の眼前にゆっくりと現れる暗示的なシーン。

敬虔なクリスチャンである三下マフィアのチャーリーは、身に降り掛かるすべての「厄難」を引き受ける覚悟を持っている。そんな彼の矜持が、二人を破滅的なラストへ向かわせてゆくことになるのだが...。
このワンシーンだけで物語のテーマを語り尽くしているような気もする。

数年前、スコセッシがストーンズの映画を制作するというニュースを聞いた時、真っ先にこのシーンを思い出した。「当然の帰結だな」と。
30年の年月を経てようやく実際に肌を合わせることとなった両巨頭。この長い「溜め」に意義があったのだ(完成した作品の出来不出来は別として)。
本編の本シーンを体験せずに『Shine a Light』という映像モニュメントを理解することは不可能だと思っている。

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Author:泰山 / TAIZAN
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