硬派の宿命・野望篇

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バトン

96年初頭に大藪春彦が没したのを契機に、私は久しく離れていた「大藪ワールド」へ帰還することとなった。

実家に置いたあった「アズキ色の背表紙」の文庫本を当時住んでいたアパートに持って帰って再読する毎日。更に未読だった作品を古書店巡りをして徐々に集めていった。

しかし、亡くなってしまった作家の作品は何時か読み尽くしてしまう時がくる。これは物理的に当然の帰結である。やはり同時代を生きる作家とも並走し、その作品を読み続けてみたい。果たして大藪春彦の代わりに私の心を満たす作品を提供してくれる作家など存在するのであろうか?

そこで『不夜城』を引っ提げて登場したのが、私とほぼ同世代の馳星周だった。




残念ながら馳星周の作品は『不夜城』の完結編『長恨歌』以降、一冊も読んでいないし、手に取ろうとも思わない。
しかし私にとってこの作家は、確実に同時代の空気を共有し、そして自分が「屹立する」契機になった作家であることは間違いない。

世界中が傾いたら まっすぐに立ちあがる
吠えろよほら今のうち 誰も見ていないから
(THE GROOVERS「HARMLESS MADMAN」)


「受ける側」から「放つ側」へ。
...馳星周もまた、少年の頃より大藪春彦の熱烈なファンだった。


不夜城 (角川文庫)不夜城 (角川文庫)
(1998/04)
馳 星周

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祝日。注文していた書棚が到着する。
すでに仕事場と蔵書室の書棚から溢れ出した書籍が寝室にまで浸食してきて収集がつかなくなっていた。取り敢えず仕事場のドアの裏側に面する壁の僅かなスペースに薄型の書棚を置いて凌ぐことにした。ドアを全開させることは出来なくなるが仕方あるまい。

半日掛けて新書棚へ蔵書の一部を移す。やはり自分の心の中核となる書籍は何時でも手に取れる場所に置いておこうと思い、選別し仕事場の方へ移動させる。

この四半世紀の間に積もり積もった小説や雑誌を手に取り表紙を目にすると、内容と共に最初にその本を読んだ時の心境や自分が置かれていた状況がじんわりと思い起こされる。まるでセルフ『ぼくはこんな本を読んできた』状態。ちょっと感傷的かも知れないが、図らずも自身の「肝」の見直しとなった。魂(スピリット)の周期的なメンテナンスの様なものか。

久々に再読してみようかな、なんて思う蔵書もちらほら。

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「おぬし、思想が出ておるぞ...」(by 村松友視)

beatleg magazine「Tom Petty 特集」

コレクター向け音楽専門誌「beatleg magazine」の最新号(2010年10月号)は何と我が敬愛するTom Petty の表紙&特集。よくぞやってくれました、と店頭で感涙に咽んでしまった。

しかも特集タイトルが「どうしてトム・ペティは日本で理解されないのか」...欧米では80年代以降超大物として君臨しているのに、である。これは本国に於けるこのアーティストの存在の本質を突いた身も蓋もないものであるが、これが現実でもある。本記事をご覧の方々もこの人のコトなんてまったく知らないでしょ?実際の話。

おそらく国内の音楽専門誌で彼の特集が組まれる機会など余程の事がない限りこれきりだろうから、彼の音楽に興味のある方は店頭に並んでいる今、是非とも手に取って頂きたい。


beatleg magazine 10月号 (vol.123)beatleg magazine 10月号 (vol.123)
(2010/09/01)
横関清高

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何せ最新刊なのであまり内容については記したくないのだが、Tomへの最新インタビューは彼が少年時代に慣れ親しんだ60年代のバンドについて嬉々として語っている様が伝わってきて実に微笑ましい。

そんな先達への畏敬の念を包み隠さない少年の頃の無邪気さが誰かに似ているな...と思っていたら、私がこれまで読んできた仲井戸麗市氏(ex.RCサクセション)のインタビューに通ずるものがあった。両者が通訳を交えて一杯呑みながら対談をやったらさぞルーツミュージックの話題で盛り上がるだろうな...なんて夢想してみたり(実際インタビューを読むと、Tomの方は本場のロックシーンの荒波をくぐり抜けてきた男故にかなりタフというかクレバーな人という印象だけど)。

あとで調べてみたら、なんと二人は同年でしかも同じ10月生まれ。誕生日がたった11日しか違わなかった。「あー、やっぱりな」と納得。個人的にこの世代の人たちからの影響はかなり大きなものがある。




モジョモジョ
(2010/06/23)
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ

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信濃川日出雄『fine』

若い友人が教えてくれた「アート」をテーマにしたコミック。
ここ10年ほどはまったくアップ・トゥ・デイトな作品を読んでなかったからとても新鮮だった。これまでまったく読んだことのない作家さんだったし。

「信濃川日出雄のブログ」プロフィール

主人公の男は美大(正確には一般大学の芸術学科)出身で、20代後半になった現在でも、納得いかない安いイラストの仕事で糊口を凌ぎながらも「アーティスト」としての矜持を貫きながら不器用に生きている。お陰でズブズブの商業主義であるこの国のアート界とは当然の如くソリが合わずまったく相手にもされていない。
学生時代の友人たちはすでに皆それぞれの道を確実に歩み始めていて、彼らからは尊敬と嘲笑の入り交じった感情で「まだ絵描いてたんだ?」なんて言われる始末...最早すっかり取り残された主人公。なまじ学生時代はカリスマ性を持ったリーダー的存在だっただけに、悪い意味での自分の不変さや融通の利かなさを痛感する毎日。
果たして彼は「自分らしさ」を成就させ、アーティストとして世の中に認められる時が来るのであろうか...

ざっとこんなストーリー。求道的であり、なかなか哲学的でもある。
自身の存在理由とイデオロギーを貫徹させる為に、立ちはだかる現実社会から押し付けられるルールとの軋轢とどのように向き合ってゆくか。夢の具現化にひたすら迷走を続ける若き主人公とその友人たち。
このように「反社会」ならぬ「非社会」的な生き方を模索し苦悩する主人公の求道的な姿に、『迷走王 ボーダー』に登場する蜂須賀の姿がダブッて見えた。まさにアート版『ボーダー』という手触り。

しかし全4巻というのは、この重厚なテーマを描き切るには余りに分量が足りな過ぎるのでは、と正直なところ思った。あの『ボーダー』でさえ全14巻で尻切れトンボだったのだから...。

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その若い友人と知り合ったばかりの頃、彼は私を指して、本書の主人公の「その後の姿」を見ているようだ、と言った。

しかし、私の若い頃はとても状況の舵取りを出来るような人間ではなかったし、強烈な表現力もそれを誇示しようという欲求も希薄だった。そもそも主人公と同年齢の頃はとてもじゃないが闘える準備がまだ出来てなかったのだ。
青春という時間を存分に駆け抜けることが叶わなかったからこそ、自分にとっての今がある。まだまだこのストーリーの結末に於ける主人公のように達観してはいないのだよ、俺は(苦笑)

本書の存在を教えてくれたお返しに、今度は私が彼に何かを贈ろう。


Fine. (1)Fine. (1)
(2006/06/30)
信濃川 日出雄

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ボーダー vol.3―迷走王 (3) (双葉文庫 た 33-3 名作シリーズ)ボーダー vol.3―迷走王 (3) (双葉文庫 た 33-3 名作シリーズ)
(2008/02/19)
狩撫 麻礼

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『夜来香海峡 』 船戸与一

昨夏頃から仕事が絶えることなく続いていたお陰で、長らく読書(主に小説)すること自体が日常的に億劫になっていた(あと、物理的精神的にも無理があった)。ようやく一段落したのでこの機会に溜まりに溜まった「積ん読本」をぼちぼち片付けていこうと思う。

ということで、以上を「何故このタイミングでこの作品?」という疑問への返答とさせて頂きます。
以下、レビューなどとは呼べない感想文をば。

まず、ざっと粗筋を。

深刻な嫁不足に困窮する地方の農家の独身男性に向けて、中国の寒村から女性を斡旋し国際結婚を世話するというNPO法人の組織を運営する主人公。
ある日、彼の顧客の一人の花嫁が突然失踪する。組織の威信を懸けて女を追う主人公。そこに同じ目的で彼に関わってくる広域暴力組織の構成員との呉越同舟。
徐々に明らかとなってゆく失踪した女の過去とそれを取り巻く深い闇。次々に起こる殺人事件。謎の殺し屋の暗躍。日・中・露の国境を越えた暗黒社会の派閥闘争。物語は秋田から青森、そして北海道へと移行してゆく。

主人公は、とにかく人間的魅力が皆無な40代後半の男。妻と息子・娘との折り合いも悪く家庭崩壊寸前で、職場の部下の女といい仲になっている。仕事は旺盛にこなすが根っ子の部分で気が小ささく常に自己保身に汲々としている。船戸作品で描かれることの多い典型的な現代日本人の「傍観者」である(また、逆に言うと平均的な読者が最も感情移入し易い人物像でもあるのだが)。

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この中年男が、性格の破綻した暴力組織の構成員とその部下や、自分が雇っている大学生の調査員アルバイター(こいつが抜群の胆力と行動・判断力を併せ持っている)、そして彼が少年の頃から憧れ続けてきた鳶の頭領だった叔父との関わりを通じて、逃亡した女を追跡しながら様々な非日常及び非合法な事象に巻き込まれていくうちに周囲から影響され、行動者として内面が変貌してゆく過程が描かれている。これもまた一種の教養小説と言ってもいいだろう。

ところが、だ。ラスト。彼は結果的に独り残されることとなる。
物語冒頭で酒浸りだった元鳶の叔父は久し振りに会いに訪れた彼の心理的SOSを感知して力になるべく、怠惰な生活を脱却し自身の心身を鍛え直し甥っ子の元へ颯爽と現れ、彼の引き蘢りの一人息子を鍛え直し社会復帰までさせていた。しかし、事件に巻き込まれた老人が退場することによって息子は引き蘢りに逆戻りし、夫婦の関係も冷え込んだまま家庭崩壊は何ら解決することなくだらだらと今後も続いていく羽目になる。
彼自身もまた、この一件に関わることで図らずも自らの獣性に目覚めていったのだが、すべてが終わった後には元の木阿弥、或はそれ以上の精神的なスケールダウンに陥りこれまでの事業も手放すこととなる。

結局主人公の男は様々な事件や人間たちの渦に放り込まれただけで、オノレ独りでは何事も変革出来ないのである。現状を一寸も是正させる力も無く只々このまま生き腐れてゆくのみ...。

彼が憧れた古き良き日本男児たちは時間の経過と共にどんどん死滅してゆく。
彼が育てるべき才気溢れる若者たちの能力は開花することなく浪費されてゆく。

戦後日本に生まれ、バブル景気に青春を謳歌し、経済の破綻により自身の身の振り方までも目算が狂わされてしまった世代。そして過去からも未来からも隔絶されてしまった世代。
本編の40代後半の主人公はまさに現代の日本の先行き不透明な立ち居値を暗喩した存在と言えるだろう。まるで船戸から「もうお前らじゃ駄目なんだよ」と突き放されたような気分になった。一応ラストシーンに救いは残されているが、根本的には何時もの如く何も解決などされていないのである。

だが、船戸作品が凡百なノワール小説と違うところは、酷薄な現実を乗り越えようとする気力の灯を我々に着火してくれる所にある。たとえそれが、散々途方に暮れた後はもう身体張って動き出すしかないだろう、という結論に至る様な蛮勇であっても有り難い。


夜来香海峡 (100周年書き下ろし)夜来香海峡 (100周年書き下ろし)
(2009/05/29)
船戸 与一

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U.W.F.戦史 2

前作『U.W.F.戦史 -1983年~1987年 誕生 勃興編-』の続編。
年一冊の刊行ペース。前作も昨年の今頃に読了した記憶がある。

『U.W.F.戦史 -1983年~1987年 誕生 勃興編-』(泰山堂通信「硬派の宿命」)

引き続き本書は、前田日明率いる「出戻りU」が古巣の新日本で、リング上で、そして政治的にも軋轢を生み出し、長州襲撃事件による前田の解雇を契機に名実共に独立を果たした「その後」を、その当事者たちとは殆ど縁もゆかりもない第三者が当時の資料を元に完全なる客観視点で綴った「通史」である。

特筆すべきは、単純に本書のテーマであるUWFという運動体の活動のみにスポットを当てるのではなく、同時期の他団体の内情やその後の展開に、新たに生まれ落ちたUWFが如何に影響を与え呼応していったか(特に前田と天龍の関係)という具合に、並走する複数の歴史の横軸を繋げるというアプローチに尽きる。著者が本書を「歴史書」と定義する意志が理解出来るというものだ。

特に前田たちに去られた新日本のその後は混迷を極めている。これはその状況をリアルタイムで眺めていた私も当時実感していたことだが、70年代に猪木が孤軍奮闘し構築してきた世界観やイデオロギーがごっそりUWFという団体に形を変えて抜け落ちてしまったかの様相であった。すべては猪木の「老い」が発端だったとしか言い様がない。
古いシステムは志を持った若者たちによって刷新される。歴史は繰り返されたのだ。

そんな新日本に見切りを付けた当時のファンが、「猪木的」な思想を受け継いだ前田率いる新生UWFにプロレスの新たなる未来像を託したのは当然の成り行きだった(実際、私もそうだった)。
事実、UWFは社会現象となり、前田は若者たちのカリスマとして一躍時代の寵児となる。しかしその栄光と裏腹に団体の内実は違っていた。

プロスポーツとしての魅せ方と純粋な勝負論との整合性と矛盾。選手とフロント間の乖離。藤原、船木、鈴木という後発メンバーと古参との確執。そして練習生の事故死...旗上げ後の一見順風満帆な活動の水面下で、そう遠くない未来に訪れるであろう崩壊の種はすでに撒かれていたのだ。

格闘界のオピニオンリーダーとなった前田も、こうした諸問題に巻き込まれ次第に苦悩と自己矛盾を抱えていく。
革命者は、決して良き統治者にはなれない、という事実は歴史が証明している。どんなに高潔な理想を持って立ち上げた団体であっても、組織というものは時間が経過すればまず間違いなく腐敗するのだ。
やがて前田も、かつて自らが追い落とした猪木や佐山の如く、同士たちから追放される運命にあった。

おそらく1年後に刊行されるであろう「UWF三国志」で、その夢の終わりが淡々と描かれることになるだろう。


U.W.F.戦史〈2〉1987年~1989年新生U.W.F.復活編U.W.F.戦史〈2〉1987年~1989年新生U.W.F.復活編
(2009/08)
塩澤 幸登

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『そして彼が死んだ』北方謙三

幸先が、よかった。

と、北方先生風に唸ってしまうほど、現在の心境にマッチした一冊だった。
ここ数ヶ月ほどまったく小説を読む気にならなかったのだが、これから心機一転、本来の男一匹で明確かつ無謀な目標に向けて踏み出していこうというムードにぴたりと重なった。これが男のシンプルさだ。


自動車修理工場を営む小川は妻と高校生の息子、そしてすっかり愛想のなくなった老犬と共に平凡な日々を暮らしていた。
ある日、事故で大破したと思わしきポルシェの「起こし」を依頼しに、一人の男が彼の工場に訪れる。矢部という、どう見てもカタギとは思えないその男は、小川を惹きつける不思議な魅力を持っていた。
元々レースカーのメカニックだった小川は、その無茶な注文を一旦は拒絶するが、矢部のどこか憎めない愛嬌のある性質、そして彼が過去に身に就けていた技術者としての徹底したスキルとプライド、さらに内に秘めた「ぎりぎりのやり取りへの渇望」に導かれるまま、すべてを引き受ける。
その一件の後、矢部との信頼の絆を深めた小川は、彼とコンビを組み中古車の海外輸出の片棒を担ぐ。やがて、そんな彼らの商売に駆逐された格好となった古参の大物中古車ブローカーとの抗争へ巻き込まれてゆくことになる。自らの本能の赴くままに。


...まあ、ざっと流れを書き出すとこんな感じでしょうか。

要は名作『檻』の流れにある近年の『擬態』『煤煙』などへと繋がる、90年代以降の歴史大作群を通過した上での、彼本来の資質でもある "そこはかとない純文学的エッセンス" の散りばめられた「北方・現代ハードボイルド物」への系譜とでも括ればいいのか。
何不自由なく安穏とした生活を送っている中年男が「あること」を契機に己の秘めたる獣性に目醒め、ひたすら暴走してゆく...たとえその先に破滅が待ち受けていようとも。
この点に美学が感じられるか否かで、おそらく人間は2種類に大別されてしまうのだろう。

ということで、健全に現在の安定した生活をまっとうされたい方にはお勧めしません。
それはひとえに、本作を単なる「男のハーレクイン・ロマンス」としてお手軽に読み飛ばして頂きたくないからである。自身の実人生に投影させなくて何が読書か。


そして彼が死んだ (講談社文庫)そして彼が死んだ (講談社文庫)
(2009/05/15)
北方 謙三

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道具の本懐

以前から思っていたのだが、酒席などで趣味の話題になった時に「ヴィンテージ・ギターや古い機械式カメラが好きなんです」なんて言うと、大抵のモノ好きの方々からは「ほう、ではさぞかしブランド物の機械式腕時計などにも凝っていらっしゃるんでしょうね」といった反応が帰ってくるパターンが度々あるけれど、実は「物」としての腕時計にはあまり惹かれるものがない。こう答えると意外だと言われる。

何分、「粋な大人の男の嗜み」としての腕時計、社会的ステータスを誇示する「アクセサリー」としての腕時計、ましてや投資目的...などという通俗的価値観にはまったく興味がないのだから仕方がない。
時間を確認するだけならば携帯の液晶表示を見ればいいし、「物質」としての腕時計なら、数年前にネットオークションで入手した米軍払い下げのハミルトンで十分満足している。

要は、腕時計には実用一点張りの価値しか求めていないのである(無論、高品質なブランド製品の「物」としての素晴らしさは承知した上で...決してこれらを否定している訳でないので誤解なき様)。

それでも数年前までは「俺もそろそろいい腕時計のひとつも持たにゃ格好付かんなあ」と自分に言い聞かせ、専門店やネットショップを覗いて有名ブランド物を見て歩いたのだが、今ひとつギターやカメラを求めている時のようには心がときめかない自分がそこにいた。値段は他の趣味への投資額とどっこいどっこいだから、どうやら金額的な問題ではなさそうだ。

これは常々自ら「何故だろう?」とよく考えるテーマだったのだが、ある時期に明確にその答えが出た。そして、まさに自分が到達した理由とほぼ同じ思考が本書には明解に記されていたのだった。
以下、引用。

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 たとえば、それがスイス製の高級ウオッチであるのなら、単に腕につけるだけで「ブランドの神通力」は瞬時に発効する。ロレックスなら、その文字盤をみることが、ブランドを所有する意味のすべてであって、ウオッチからはそれ以上の行動を要求されない。時計は時間を知るだけの道具ですから、その先というものはないわけです。
 でも、カメラになると、それを手にしたのちの行動、この場合は町歩きでも、海外のツアーに参加するのでも、室内の花でも、路地裏の猫でも、ともかくなんでもいいから撮影する。ただライカを持っているだけでは、ダメなのです。持っているだけでは、そのブランドの正当な所有者として認知されない。
(中略)

 ブランドを身につけることで、「そのブランドを持つクラスの人」に同一視されること、あるいは「そのブランドを持っている匿名の存在」という社会認識を得ることが、ファッションの目的の達成であって、その先のステップはもはや存在しない。でも、カメラに関してはその先のステップをカメラの方から要求されるのです。
 その意味で、一般のカメラブランドの属性は、楽器や運動用品、絵画道具などに近い。そこには「ユーザーによってなされるパフォーマンス」が期待されているのです。カメラブランドを手に入れることは、とても創造的かつ行動的なのです。

(田中長徳著『カメラに訊け! -知的に遊ぶ写真生活』より)

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私は、この場合の「ブランド」は「見栄」でなく「信頼の証」と解釈している。

古いフェンダーやギブソンも、古いライカやニコンも、無論それら自体に「物」としての魅力は確実にあるけれど(社会的価値も十分理解しているつもりだ)、自分にとって最大の興味と目的は、詰まる所それらを所有した上で「いかに使いこなすか」という一点に集約されている。
それはまるで、ポテンシャルの高い優秀な道具たちに自らが試されているかのように刺激的だ。


カメラに訊け!―知的に遊ぶ写真生活 (ちくま新書)カメラに訊け!―知的に遊ぶ写真生活 (ちくま新書)
(2009/03)
田中 長徳



ギター・マガジン 5月号

本日発売です。

で、ようやく週末に編集部から送られてきた現物を手にしました。
美しい仕上がりですね~。全力を尽くした甲斐があります。

巻頭の「現代の3大ギタリスト」特集は読み応えたっぷり(堂々24頁)。個人的には「Myエフェクト・ボードの作り方」が実用面で役立ちそうだな...ギタリスト必見です。

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