硬派の宿命・野望篇

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

The Chang

90年代半ば頃によく観に行っていたバンド。「ざ、ちゃん」と読みます。

http://www.music.ne.jp/~changfans/

まるで70年代のソウル・ミュージックが息を吹き返したかのようなソフィスティケートされたサウンドと、それと裏腹に気の抜けたビールのように頼りなくも(失礼、これは良い意味で解釈して頂きたい)飄々としたヴォーカルが魅力。メンバーの多くが自分と同世代ということもあり、その時代の「今日的空虚感」が歌詞の端々から妙にじんわりと伝わってきて大好きでした。

我々はすでに、圧倒的な存在である先人や他者からの影響(呪縛)を受けなければ、何も生み出すことが出来ないのではないか...喧噪の80年代を越え、そんな諦念や生まれながらの疲労感を共有した世代。
そういう意味ではまさに90年代は70年代の再評価期だったのかも知れません。

当時の仕事の出張先だったM県の山奥にあるダム現場に向かう細く曲がりくねった山道を、彼らのライブを隠し録りしたカセットテープ(まだメジャーデビューする前だったので音源がなかった)を流しながらレンタカーで飛ばしていた頃の遠い記憶が甦ります。

しかし、なぜ今になってこの曲を思い出したのか。
それは外から壁を伝わって「ぱらりぱらり」と漏れ聞こえてきている真夜中の雨音のせいか。

ええ、なんせ大雨の山道での運転は視界が悪く危険だったもので...まるで当時の自分の存在のように。



ギター・マガジン 5月号

本日発売です。

で、ようやく週末に編集部から送られてきた現物を手にしました。
美しい仕上がりですね~。全力を尽くした甲斐があります。

巻頭の「現代の3大ギタリスト」特集は読み応えたっぷり(堂々24頁)。個人的には「Myエフェクト・ボードの作り方」が実用面で役立ちそうだな...ギタリスト必見です。

L1010197.jpg

現代の3大ギタリスト (The New Guitar Gods)

仕事の告知です。

4月13日(月)発売のギター・マガジン(リットーミュージック)2009年5月号の表紙を担当させて頂きました。

「ギター・マガジン」さんが表紙にイラストを使用するのは今回が創刊(1980年)以来初めての試みだそうで、そんな大役を仰せつかったことを光栄に思っております。
また、本文の特集でも「現代の3大ギタリスト(The New Guitar Gods)相関図」を描いてます(総勢17名...誰を描いたかはご覧になってからのお楽しみ)。

是非、書店・楽器店でお手に取ってみて下さい。

h1-3-31.jpg

ギター・マガジン 2009年5月号
現代の3大ギタリスト
ジョン・フルシアンテ、ジョン・メイヤー、デレク・トラックス
http://www.rittor-music.co.jp/hp/gm/

■Featured Guitarists
◎現代の3大ギタリスト
~ジョン・フルシアンテ、ジョン・メイヤー、デレク・トラックス(24ページ)
クラプトン、ベック、ペイジ。天下の3大ギタリストは今なお燦然とトップに君臨しているが、次世代を担うスーパー・ギタリストを現代の音楽シーンから選出するとすれば、ジョン・フルシアンテ、ジョン・メイヤー、デレク・トラックスというラインナップに落ち着くであろう。独自の個性を放ちながら新たなるギター・ワールドへと突き進んでいく彼ら。The Times They Are a-Changin'……時代は変わる。ギターの未来を知りたければ、“現代の3大ギタリスト”の魅力にじっくりと迫るべし!

■仕様:A4変型判/272ページ
■価格:700円(本体667円+税)
■発売日:2009.04.13

続きを読む »

昔々、メリケン国で

"Once Upon a Time in America" の劇中に流れるEnnio Morriconeによる「デボラのテーマ」。



年老いたヌードルス(デ・ニーロ)が、少年時代から恋したデボラを回想するシーンを思い出す。「アマポーラ」を伴奏にベッドルームで踊る女優志願の少女。それを壁の穴から見つめる悪漢予備軍の少年。
30年の月日を経て再会する二人。やがてヌードルスは残酷な過去の真実を知る事となる。

この曲を聴くだけで劇中の様々なシーンが脳内で躍動し始めて、ぞくぞくと鳥肌が立ちます(こういう瞬間を「泣ける」なんて手垢の付いた陳腐な言葉で濁してたまるかい)。

続きを読む »

柴田のジャーマン

この写真のUPを待ってました。TV観戦から1日置いて感想を書きます。

総合格闘技のリングで、綺麗に弧を描いた人間橋。

MMA参入初戦の1勝から、実に2年振りの勝利を判定決着ながらもぎ取った柴田勝頼。
しかし、正直言って今回の対ミノワマンというプロレスラー同士の「番外地」的な試合は、これまで彼が臆することなく並み居る強豪たちと最前線で闘ってきた足跡を振り返ると、そのいかにも勝負論から外れたサシミのツマの如き「プロレスラー枠」としての扱いは実に残念な限りでした。日和るのはまだ早いだろう、と。

でも、改めて試合の写真を観てみると、やはりプロレスラー。実に絵になる。
これは他の純総合格闘家の試合写真群と比較するとよくわかります。

DREAM.8 ウェルター級GP2009 開幕戦

近年はPPVやネット配信などで手軽に、そしてじっくりと試合の映像を視聴出来る環境にある私たちですが、昭和の時代にプロレスを観始めた少年にとって試合の視覚情報は、会場に足を運ぶか、リアルタイムでTV中継を観るか(まだビデオもあまり普及していなかった)、あるいは専門誌のグラビアを食い入るように眺めるかしか手段がありませんでした。
中でも一番手っ取り早く、そして何度も繰り返し見られるのが雑誌に掲載されている試合の写真。

当時、カラーグラビアが掲載されている専門誌といえば「月刊ゴング」「別冊ゴング」「月刊プロレス」といったところでした。特に「ゴング」系列誌の写真は抜群に美しかったと記憶してます。そこに焼き付けられた猪木、藤波らの躍動する姿に魅入られました。

不思議なもので、生観戦やTV中継ではそれほど印象の強くなかった技やムーヴが、グラビアの静止画像で観ると実にドラマチックな「絵」として完成されていることが何度もありました。逆に、先に写真で見て期待していた過去の名勝負を改めて観てみると、意外と呆気ない内容だったり。
それだけ静止した写真のインパクトと、そこに内包されたドラマ性は、饒舌ではない故にこちらの想像力を駆り立てるだけの影響力が確実にあったと言えるでしょう。

おそらく当時は情報が少ない分、受け手は様々な妄想を膨らませ、また送り手(カメラマンや編集者)も「一発勝負」的なニュアンスで1枚の写真に全精魂とメッセージを注いでていたのでしょう。それが劇的な瞬間を捉えた「絵」となり、その試合の記憶を封じ込めて我々の脳内へと伝達されていたわけです。

しかしそういう手法も、80年代初頭のプロレスが黄金期を迎えて各専門誌が週刊化され、引いては「最も絵になるプロレスラー」猪木の選手としての衰退と比例するようにどんどん質が落ちていったような気がします(ビデオデッキの普及も影響しているかも知れません)。
お陰で受け手も送り手もビジュアルに対するテンションが落ちたのでしょうか、以降はロジックを駆使した「活字プロレス」が主流になっていきました。

...そしてプロレスと格闘技が完全に棲み分けされてしまった現在、真剣勝負のリングで猪木の末裔が黒いショートタイツ姿でジャーマンを繰り出す。そんなシーンが「絵」にならない筈がないでしょう。甘い考えかも知れませんが、この瞬間、柴田の意志は「格闘芸術」を遂行したのだと私は確信しました。

たった1枚の写真に、リング上の真実はすべからく投影されているのかも知れません。

The Mars Volta

たとえばツェッペリンやスライといった名ばかりのロートルたちのリユニオンを今さら馬鹿高い木戸銭払って観に行くのならば(無論、先人たちへの畏敬の念は忘れないが)、私だったら現代と並走する彼らの音を間近で体感したい。



とにかくプロデューサー&ギターのオマー・ロドリゲス・ロペスの存在感は突出している。
サウスポーというだけで、ギタリストとしてすでにそれは才能かも知れない。見栄え的にも。

喧噪の中で想う

週末はカメラを片手に満開の桜を眺め歩く。

思えば20代の頃は花や自然の風景などにまったく興味がなかった。
自分の内面にしか関心が向いてなかったのだ。「風流なんぞ糞食らえ」なんて思っていた。

そんな私でも、ただひたすら酔うために飲むのではなく、段々と酒の味が実感出来るようになり、それと共につまむ肴の旨さもわかるようになった時期にぴったりと重なる様に、自分を取り巻いている自然の美しさやうつろいが心に滲み入るようになってきた。

L1010145.jpg

でも、特定の一本の桜の下に御座を敷き、大勢の輪の中で酒を呑みながら花見をするのは、未だにあまり好きではない(付き合いでそういう席に赴くことはあるが)。

集団を離れ、決して一カ所に留まらず、まだ見ぬ様々な花々や樹々を求め、一人彷徨い歩いていたい。
常に単独な行動者かつ、冷静な客観性を持った観察者たらんとすること。この方が性に合っているのだ。

だんだんわかった

常に時代の空気を敏感に感じ取る作業は必要だと思う。
しかし、そこにどっぷり浸かったり、躍起になって先端を後追いするような真似はしたくない。
そういうことはピュアな女子供や、あるいは拝金主義の商売人たちの領分である。
時流というものは、横目でチラリと認識する程度でいい。一瞬後にはすべからく芥となるのだから。

だがこれは、すでに確固たる「自分の世界」を固持している者だけが可能な業だ。
持たざる者はそれを模索し手に入れるまでは大いに迷走し七転八倒すべし。
結果、その答えが自身の揺るぎない美学となる。そうなったらしめたものだ。



black & white

春になったので新しい靴を下ろしました。

L1010122.jpg

昨秋にネット通販で格安購入したドクターマーチン。
ここのエアクッションソールの靴を入手したのは15年振りぐらいかも知れない。
学生時代はアメ横の古着屋が並行輸入した当時あまり国内流通してなかったイエローステッチの8ホールなどを履いたりしてましたが、30歳を過ぎたら「今さらロック小僧じゃあるまいし...」と意識的に敬遠してました。

実は以前からトラディショナルな英国スタイルの白黒コンビのウイングチップが欲しくて色んなショップを覗いて見ていたのですが、あっても高級品や特注品といったものばかり。流石にこの手の色物靴に10万は掛けられねえなあ、と半ば諦めていたところでこいつを発見。

ところが注文して送られて来た現物を見たら、あまりの安っぽい作りにガッカリ。
早々下駄箱の中へ突っ込んで一冬放置してました。二度と日の目を見ることはあるまいと。

ところが、ちょっと前に近所へ外出する際に気まぐれで下駄履き代わりに引っ掛けて行ったところ、出先のショウウインドウに映る自身の姿を見て「おお、意外と悪くないな!」と思い、この度最前線へ登用する運びとなった次第。ジーンズに合わせてもロカビリーチックにならないところがいいです。

安物故、気兼ねなくスニーカー代わりに履き潰してやろうと思ってます。

「暴力疎開」

こちらでは初投稿となります。

当初は今回の記事タイトル名称で、すでに数ヶ月前にここのアカウントを取得してましたけど、ずっと手つかずで放置してました。
本来ならば女人禁制にして知り合いの男衆ばかりで会員制っぽく変名を使って言いたい放題の荒っぽい寄り合い場でも作ろうと企てていたのですが(故に「租界」でなく「疎開」)どうも最近は周囲の野郎の皆さんに覇気がない様子なので、どうせ盛り上がらないだろうと思い止めときました。私は草臥れたおっさんたちの介護人ではない。

一応建前としては「新年度なので装いも新たに」と言っておきますが、実は何かしらの思惑があったりして...なんて、大いに深読みして頂けるとこちらも楽しくなります。他者にショックを与えることこそがダンディズムの本質なり。

ということで、本日より「硬派の宿命・野望篇」開始します。



注)『暴力租界』・・・大藪春彦の遺作。作者死亡の為、未完。

«  | HOME | 

■ プロフィール

泰山 / TAIZAN

Author:泰山 / TAIZAN
I'm a man.
I'm just an average guy.

■ 最新記事

■ 最新コメント

■ 最新トラックバック

■ 月別アーカイブ

■ カテゴリ

■ RSSリンクの表示

■ RSSリンクの表示

■ 検索フォーム

■ RSSリンクの表示

■ ブロとも申請フォーム

■ QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。