硬派の宿命・野望篇

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

道具の本懐

以前から思っていたのだが、酒席などで趣味の話題になった時に「ヴィンテージ・ギターや古い機械式カメラが好きなんです」なんて言うと、大抵のモノ好きの方々からは「ほう、ではさぞかしブランド物の機械式腕時計などにも凝っていらっしゃるんでしょうね」といった反応が帰ってくるパターンが度々あるけれど、実は「物」としての腕時計にはあまり惹かれるものがない。こう答えると意外だと言われる。

何分、「粋な大人の男の嗜み」としての腕時計、社会的ステータスを誇示する「アクセサリー」としての腕時計、ましてや投資目的...などという通俗的価値観にはまったく興味がないのだから仕方がない。
時間を確認するだけならば携帯の液晶表示を見ればいいし、「物質」としての腕時計なら、数年前にネットオークションで入手した米軍払い下げのハミルトンで十分満足している。

要は、腕時計には実用一点張りの価値しか求めていないのである(無論、高品質なブランド製品の「物」としての素晴らしさは承知した上で...決してこれらを否定している訳でないので誤解なき様)。

それでも数年前までは「俺もそろそろいい腕時計のひとつも持たにゃ格好付かんなあ」と自分に言い聞かせ、専門店やネットショップを覗いて有名ブランド物を見て歩いたのだが、今ひとつギターやカメラを求めている時のようには心がときめかない自分がそこにいた。値段は他の趣味への投資額とどっこいどっこいだから、どうやら金額的な問題ではなさそうだ。

これは常々自ら「何故だろう?」とよく考えるテーマだったのだが、ある時期に明確にその答えが出た。そして、まさに自分が到達した理由とほぼ同じ思考が本書には明解に記されていたのだった。
以下、引用。

-----

 たとえば、それがスイス製の高級ウオッチであるのなら、単に腕につけるだけで「ブランドの神通力」は瞬時に発効する。ロレックスなら、その文字盤をみることが、ブランドを所有する意味のすべてであって、ウオッチからはそれ以上の行動を要求されない。時計は時間を知るだけの道具ですから、その先というものはないわけです。
 でも、カメラになると、それを手にしたのちの行動、この場合は町歩きでも、海外のツアーに参加するのでも、室内の花でも、路地裏の猫でも、ともかくなんでもいいから撮影する。ただライカを持っているだけでは、ダメなのです。持っているだけでは、そのブランドの正当な所有者として認知されない。
(中略)

 ブランドを身につけることで、「そのブランドを持つクラスの人」に同一視されること、あるいは「そのブランドを持っている匿名の存在」という社会認識を得ることが、ファッションの目的の達成であって、その先のステップはもはや存在しない。でも、カメラに関してはその先のステップをカメラの方から要求されるのです。
 その意味で、一般のカメラブランドの属性は、楽器や運動用品、絵画道具などに近い。そこには「ユーザーによってなされるパフォーマンス」が期待されているのです。カメラブランドを手に入れることは、とても創造的かつ行動的なのです。

(田中長徳著『カメラに訊け! -知的に遊ぶ写真生活』より)

-----

私は、この場合の「ブランド」は「見栄」でなく「信頼の証」と解釈している。

古いフェンダーやギブソンも、古いライカやニコンも、無論それら自体に「物」としての魅力は確実にあるけれど(社会的価値も十分理解しているつもりだ)、自分にとって最大の興味と目的は、詰まる所それらを所有した上で「いかに使いこなすか」という一点に集約されている。
それはまるで、ポテンシャルの高い優秀な道具たちに自らが試されているかのように刺激的だ。


カメラに訊け!―知的に遊ぶ写真生活 (ちくま新書)カメラに訊け!―知的に遊ぶ写真生活 (ちくま新書)
(2009/03)
田中 長徳



スポンサーサイト

 | HOME | 

■ プロフィール

泰山 / TAIZAN

Author:泰山 / TAIZAN
I'm a man.
I'm just an average guy.

■ 最新記事

■ 最新コメント

■ 最新トラックバック

■ 月別アーカイブ

■ カテゴリ

■ RSSリンクの表示

■ RSSリンクの表示

■ 検索フォーム

■ RSSリンクの表示

■ ブロとも申請フォーム

■ QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。