硬派の宿命・野望篇

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manifesto

さて、いよいよ5月に突入します。
気候も良くなり、これまで試運転的だった新年度も連休を明けたら本格始動といった頃合いでしょうか。私の場合もそんな感じです。

ここで念のため、当ブログのタイトルの「硬派」を、通俗的な「硬派」という言葉の意味と取り違えない様、改めて提示しておきます。以下、豊浦志朗『硬派と宿命』(世代群評社/1975年・絶版) より抜粋。

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 硬派は状況の最前線にいるが、実のところ、政治的なことについてはよく理解していない。政治的な発言はするが、それは状況を分析した結果というよりも、みずからの行動に光を与えるためである。硬派は目的を選ぶ。しかし、目的のために行動するのではない。行動するために目的を選ぶのだ。なぜなら硬派は行動していなければ窒息死してしまうからだ。行動こそが何にもまして重要なのである。かくして、通常、手段とされているものが目的化する。目的とされているものが手段化する。この逆転こそ硬派の最大の特徴である。

 硬派の出現は時代の要請であるが、誰でも硬派になれるというわけではない。硬派にはある魂が必要である。その魂は幼児期に古い英雄譚や伝説、お伽噺によって形成される。それがさしたる紆余曲折を経ずに直裁に行動の動機に結びつく信念に変わる。したがって、硬派がその信念を口にするとき、それはきわめて他愛なく聴こえる。しかし強固だ。

 硬派は孤独である。その行動は称賛されたり憎悪されたりするが、その動機は誰にも真の意味で理解されないからである。したがって、硬派は他者とは同盟を結んでも同志として共同体を構成することはない。共闘はしても完全な連帯関係にはいることはないのである。その行動が先行しすぎているか、あるいは遅れすぎて猿芝居になっているからだ。硬派はその孤独をいやそうとますます行動に走る。かくして、硬派は表面上いかなる共闘関係を保っていようと、永遠にはぐれ狼の宿命を背負わざるをえない。うち棄てられた野獣のごとく硬派は吠えつづけ、行動は烈しさを増す。その結果、硬派は裏切られ追放される。硬派の行動至上主義はかならず共同体の邪魔になるからである。裏切りの森を抜け、淋しさの尾根を越え、空しさの谷をはいあがり、硬派が辿りつくのはどんな頂か。

 硬派がその行動至上主義によって獲得しようとするものは何か。実をいうと、何もない。硬派はその行動によって富を得たり名誉を得たりするかも知れない。しかし、硬派にとってそんなことはほとんど意味を持たない。というのも、硬派の目的は行動することそれ自体にあるからだ。硬派の狙いは、行動の中に文学を描こうとしていることにある。



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