硬派の宿命・野望篇

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父と子

父親の手により千尋の谷に叩き落とされ、命からがら生還した息子は、放浪しながら地力をつけ再び父親の眼前へと現れる。今度は自分が老いた父親へ引導を渡す為に。

・『巨人の星』最終回

・NHK大河『風林火山』第11回「信虎追放」

・PRIDE.23/高田延彦引退試合

愛憎入り交じる父と子の関係。私はこれがごく当たり前の摂理だと少年時代から認識してきた。
実質、現時点でまだ父親を越えることは叶わないが...いまだ放浪中の身ということか。

ゲバラと「S2」

古カメ道の深い森に踏み込んで10年。ついにニコンのレンジファインダーへと到達してしまった。
もし最初に手に入れるなら、絶対に「S2」にしようと以前から決めていたのだ。

写真が趣味だったゲバラも愛用していたという「S2」。
さすがにレンズも彼と同様に高価&稀少なF1.1というわけにはいかなかったが、かろうじて同じ後期型のブラックダイヤルのタイプが入手出来た。

「それがどうした?(世間の声)」

男はみんな真似っこしい。
誰もが憧れの誰かと同じ格好をしたり、同じ店で同じメシを食ったり、同じものを持ったりしたい。
そうやって憧れの対象に追いつくべく、自分磨きをしている「ツモリ」になっているのだ。

「それがどうした?(私の声)」

そんな崇高な男の純情が、野暮な女子供なんぞに(女の腐った野郎も含む)わかってたまるかい。

L1010312.jpg

次の標的として、中学生の頃から憧れていたロバート・キャパがインドシナ地雷を踏んで爆死する瞬間まで握りしめていたという、ひとつ前の「S」型を1台、と目論んでいる。

「それがどうした?(貴方の声)」

コメント欄に関するお知らせ

誠に勝手ながら、この度、当ブログのコメント欄を全面廃止することにしました。
旧BBS時代より、閲覧して下さった方々との交流、及び、拙記事の内容的至らなさを補完すべく門戸を広げて参りましたが、なかなか理想的な展開には至らず、今後は記事を執筆することのみに専念させて頂きます。どうかご理解の程を。

尚、筆者へのご連絡は向かって右側にあるプロフィール欄内の「筆者への連絡はこちらへ」リンクよりメールにてお寄せ下さい。必ずお返事させて頂きます。また、記事内容へのダイレクトなリアクションが御座居ましたら記事下の「拍手」をクリック願います(署名や記載も可能です)。お気軽にどうぞ。

これからも当ブログを、宜しくお願い致します!(パンクラス旗揚げ時の船木っぽく)。



HUGO PRATT

個人的に、最近めっきり以前のダイナミズムを感じられなくなっているMySpaceであるが、そんな中でも極上の出会いがまだまだあるものだと知らしめた一件。

以前、あるフランスの方からフレンドのリクエストがあり(おそらく私の作品があちらのwebマガジンで紹介されたからだと思う)その人は一般の方だったのだが、トップページに水彩で描かれた軍人と思しき男性のイラストが数点掲載されていたのだ。それがまた見事な筆さばきで、生き生きとしたキャラクターも非常に印象的だった。

それらの画像のキャプションを見ると「HUGO PRATT」の名が。

で、その人のトップフレンドを探すと、あった。筆頭に「HUGO PRATT」。
そのアイコン写真には眼光鋭き白髪の老紳士の姿があった。

早速「HUGO PRATT」なる人物のスペースへと飛ぶ。
ああ、やはりこの人が作者だ。そうか、イタリア人なのか。81歳。随分高齢だな。

そこには件の魅力的な軍人像の描かれたイラストが大量に掲載されている。それらの多くは古い雑誌の表紙で、どうやらこのキャラクターはシリーズ物コミックの登場人物のようだ。
更には本人の写真、そして軍服を着た若者のモノクロ写真が数点。

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HUGO PRATT(ユーゴ・プラット / ウーゴ・プラット)

1927年6月15日ヴェネチア生まれ。少年時代からコミックとハリウッド映画に魅せられていた。軍人の息子であったが、戦争と植民地主義を軽蔑し、父親の赴任地アビシニア(現在のエチオピア)に住んだ時も一時兵士にはなったが、敵であるはずのアフリカ人たちと友情を育んでいた。
イタリアに戻ってからコミック作家となったが、国土を引き裂く内乱の愚を見ていられず、1949年にはアルゼンチンに移住し、コミックの仕事を続けた。アメリカン・コミックや西部劇を愛するユーゴはアメリカ、西インド諸島、南米を旅し、ネイティブ・アメリカンたちと親交を深めた。

1960年、ロンドンに移り、1962年にイタリアへと帰国した。ジェノバのパトロン、フロレンツォ・イヴァルディから資金を得て、1967年に初めてコルト・マルテーズが登場する『The Ballad of Salt Sea』を出版した。
1970年からはフランスに住み、コルト・マルテーズをシリーズ化し、自身の体験から生まれた世界中を股に駆けるヒーローは読者からも評論家からも高い評価を得ることになり、15ヶ国語に翻訳された。1984年からはスイスに移住するが、コルト・マルテーズにより世界的な成功を収めたユーゴは遊牧民のように旅を続け、カナダ、アフリカ、大平洋諸国と世界を駆け巡り、1995年8月20日、癌のため死去した。


HUGO PRATT(MySpace)
コルトマルテーズ(映画版)

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そんな大物だったのか...すでに亡くなっていたとは残念だ。
しかし、これまで彼の存在はまったく知らなんだ。フランスのコミック"BD"(「バンド・デシネ」の略)の作家では大御所のメビウスが昔から有名だけど、余程突っ込んだマニアじゃないと彼の地の業界の状況はよくわからないものだ。ガキ向けのくだらない現行国内コミックの情報なんてどうでもいいから、メディアはこうした海外の良質な作家の作品をもっと積極的に紹介してくれと言いたくなる。

それにしてもHUGOさんの描くコルトマルテーズの魅力的なことよ。同時に、彼の半生も実に興味深い。まるでヘミングウェイやハメット、フォーサイスを彷彿とさせる「行動する作家」だ。
遅ればせながら惚れ込んだ。今後、彼の作品についてさらに調査しなくてはならないだろう。

とにかく、まずは彼の描いた「一枚絵」を、一人でも多くの方々に見て頂きたい。



イギリスの海兵とセビリアのジプシーの間に生まれたコルトマルテーズはその素性さえもがとても興味深い。弱者の味方で抜群のユーモアのセンスと気品を兼ね備えたコルトマルテーズは伝説のヒーローであり、名誉を重んじる英雄だ。冒険を求めて旅をするのではなく、冒険が彼を求めてやってくるのだ。自由と人権を尊重し夢と宝を手にするため世界中を旅をする。

swatch eye onlyさんのエントリー「コルトマルテーズについて知る」より抜粋)

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真田十勇士

実は『新八犬伝』は番組中盤辺りからの参戦であった為、ストーリーの全容は同時期にNHKから出版されていたノベライズ版を遡って補完していたのであった。
確かに夢中になってはいたのだが、どうも「乗り遅れた感」があって、現在でも堂々自分のフェイバリット番組とは胸を張って表明出来ないのは事実だ。

で、結論を言ってしまうと、やはり後続番組となる柴田錬三郎原作の『真田十勇士』(75年4月~77年3月)こそが私にとって最高の「NHK人形劇」であり、小説、映画、漫画等、あまたある十勇士物の中でもダントツの存在となっている。これもひとえに放送第1回から最終話までリアルタイムで鑑賞し続けてきたという「関わった時間の長さと受け手としての積極果敢な情熱」の絶対的分量の結果であろう。

本作は、それら過去の様々な十勇士物をタタキ台にし、かなり斬新な設定となっている。
まず、主人公である十勇士の筆頭・猿飛佐助だが、その出自は武田勝頼の忘れ形見という荒唐無稽さだった。同じく、三好晴海入道は石川五右衛門の遺児、霧隠才蔵と筧十蔵は外国人(イギリスと明国)、高野小天狗に至っては高野山のカラス天狗がその実体である。まったく破天荒にもほどがある。
こうした柴錬オリジナルの型破りな新設定が古典的な歴史群像劇により重厚さとダイナミズムを増幅させているのだ。事実これぐらいのインパクトがないと、夕方6時の夕食時に当時のすれっからしのマンガ・特撮・アニメ世代の餓鬼共を惹き付けることは不可能だったのではないかと今にして思う。

しかし、いくら無茶苦茶な設定を取り入れたとしても、所詮本編は歴史物語である。事実に基づいた確固たる「お約束」はきっちりと押さえなくてはならない。過去の歴史を塗り変えることは出来ないのだ。事実に反すれば途端に子供騙しの茶番と化してしまう。だから、大阪夏の陣で豊臣方の真田幸村が勝利することは決して有り得ない。
最後は滅亡してしまう主君に仕え身を挺して活躍する魅力的な主人公たち...彼らの行く末は、当時の子供にとっては実に残酷でやるせない現実として待ち受けている。絶望的な結末。それがわかっていながらも、私たちは波瀾万丈なストーリーに胸をときめかせて毎夕の放映を食い入るように追っていた。

そこには作家の想像力という翼で際限なく嘘の付けるSFや近未来物のように「ファンタジー」という名の免罪符によるご都合主義的な逃げ道は用意されていない。ストーリーや登場人物たちはすでに明確に答えの出ている終末に向かって鮮烈な残像を残しながらただひたすら駆け抜けてゆくだけだ。
だが、逆説的にその足枷の不自由さが時代物の面白さでもある。いかに史実をねじ曲げずにその狭間でオリジナリティという創作的大風呂敷を広げられるか...これは後年、柴錬や山田風太郎といった突出した才能の作家たちが意識的に標榜していたテーマだったと知ることになるのだが、私はそのような醍醐味をすでにこの『真田十勇士』のお陰で少年時代に心ゆくまで味わっていたと言える。

あとは何と言っても『新八犬伝』から引き続き担当した辻村ジュサブロー(寿三郎)先生の手による人形たちの魅力が大きかった。日本の伝統的な美と、絢爛たるヨーロッパ風デカダンスの融合とでもいうべきか、その造形はまだ少年の中に眠っていた性的な高揚を呼び起こすほどの妖婉さに満ちていた。

柴錬とジュサブロー。希代の両作家のダンディズムの激突が本作を豊饒なる歴史絵巻へと昇華させたのは言うまでもない。また、これを子供向け番組として放映していたという事実が凄い。

___09_佐助

ircle@高円寺HIGH

ircleを観に雨の高円寺へ。今回のツアーでは唯一の東京でのライブだから見逃す手はない。

およそ3ヶ月振りに再会する彼らは、冬~春先までの怒濤のツアーを乗り越え、初のワンマンを経験し、そこに逞しい成長の痕跡が見て取れた。
前回の渋谷では既成のレコーディング音源を忠実にライブで再現している(実際は順序が逆なのだろうが)という実直な美しさと、それに対する観る側の受動的カタルシスが存在したのだが、今回は確固たる雛形を再構築するだけの余裕と攻めの姿勢による展開に終始し、こちらを前のめりに刺激する瞬間に満ち溢れていた。やはりバンドとは常に有機的に変化する生き物なのだ。

いいぜ、ircle。その調子でどんどんでかくなっていってくれ。俺も頑張る。

l_8e2d1c317800409aba92d19bc79fddd8.jpg

SCHEDULE
05.07 横須賀かぼちゃ屋PUNPKIN
05.09 岡山crazymama2
05.10 小倉FUSE
05.23 小倉WOW
05.30 SAKAE SP-RING
06.06 大分T.O.P.S
06.07 宮崎FLOOR
06.19 天神ビブレホール
http://www.ircle.jp/

新八犬伝

小学校低学年の頃、平日の夕方にNHKで放映されていた人形劇。
このシリーズは結構長く続き、世代によって観ていた贔屓の作品が様々だろうと思うが、私の場合はこの『新八犬伝』と柴錬原作の『真田十勇士』がど真ん中だった。

上記2作品のすべての人形を手掛けた辻村ジュサブロー師が描いたノベライズ版の挿絵の男女の姿が、番組テーマ曲の三味線の音色と共に、私にとって最初の「和風なテイスト」との出会いだったように思う。その筆の先に江戸時代から連綿と続いてきた錦絵への憧憬...それは実に妖艶で官能的な表現だった。

これは敗戦直後のアメリカ統治下に多感な時代を過ごし、戦後民主主義教育によって人格形成されてきたモダンで合理的な思考を持つ両親の影響下、生まれながらにしてごく当たり前に洋風な生活環境を受け入れていた少年にとって、初めて意識した「ジャポニズム」という概念だったような気がする。
それほど改めて知る自国の古き良き伝統文化は私にとって刺激的だったのだ。昭和40年代後期に於いて、最早それは遠い過去の「異文化」に近い存在になっていた故かも知れない。

以降、私はそれまで畏怖心からか敢えて距離を置いていた祖父と急速に家庭内で昵懇の仲となった。
歴史研究が趣味だった祖父にしてみれば、孫がおのずから自分の専門フィールドに足を踏み入れてきたのだ。しめしめと思ったことであろう。
祖父とひとつ屋根の下一緒に暮らしてなければ現在の自分はいないと断言してもいいほど、この明治男からは多くの物事を学んだ。



time to say good-bye



鍛錬とリアリズム

30も半ばを越えると、生まれ持った器量や運気だけでは物事を凌げなくなってゆくものだ。
以降、常に己に後天的な技能を根付け自覚的に研鑽するという「運動」がなければ到底やっていけない。
天分を持ちながらもそれを怠り、終息していった者たちが周囲にどれほど居ただろうか。冷徹な現実だが仕方あるまい(彼らも何処かでまた違ったかたちの花を咲かせてくれていればいいのだが...)。

私もここ暫くはサボり気味で、過去の貯金だけで様々な事象を乗り越えてきたように思う。貯金を使い果たす前に各部にブラッシュアップを施し、さらに新たな技術(わざ)も身に就けねばならないだろう。
最早、自分の「足りなさ」や「だらしなさ」を看板に世渡り出来るような年齢や時代ではないのだから。
こうした赤裸々な自分のマイナス要因を臆面もなく公の場でご開帳することが「リアルさ」だと思ったら大間違いである。

大藪ヒーローにしても、白土三平の忍者物マンガにしても、『ロッキー』シリーズにしても、主人公が自身の行く手を阻む困難を乗り越える段取りとして必ずトレーニング・シーンが丹念に描写されていた。
自己変革しなければ状況はぴくりとも動かない。内なる「敵」に超克せずして眼前の「敵」に打ち勝てるわけがあるまい。これを呑み込むことが本当のリアリズムである。そこには神風のごとき偶発的な要素や、ご都合主義的ファンタジーの介入する余地は皆無だ。

以上が敢えて今後の自分に課した「負荷」である。我ながらお手並み拝見といったところだ。

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Author:泰山 / TAIZAN
I'm a man.
I'm just an average guy.

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