硬派の宿命・野望篇

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Requiem




どうして旅に出なかったんだ 坊や
あんなに行きたがっていたじゃないか
どうして旅に出なかったんだ 坊や
うまく話せると思ったのかい

おまえは旅に出るよって言って出なかった
俺は昨日旅から帰ってきた奴に会ったんだ
あいつはおまえとおんなじだったよ
ただ違うのはあいつはまた昨日旅に出たけど
おまえは行かなかったのさ

どうして旅に出なかったんだ 坊や
あんなに行きたがっていたじゃないか
どうして旅に出なかったんだ 坊や
行っても行かなくてもおんなじだと思ったのかい

もう5年も前おまえが行きたいと思っていた場所へ
きのうあいつは出かけて行ったよ
おまえときたら昼の日中から街の銭湯で
何度も何度も自分の身体ばっかり洗っていたよ

あいつは俺に言っていたよ
さよなら またいつか会えるさって
俺はおまえの顔を見るたびに
もうこいつには会えないんじゃないかと思うのさ

どうして旅に出なかったんだ 坊や
あんなに行きたがっていたじゃないか
どうして旅に出なかったんだ 坊や
行っても行かなくてもおんなじだと思ったのかい

おまえがちっとも旅に出ないもので
俺はもうあきあきしちゃったんだよ
おまえがあんなに言っていたことも
今俺にはみんな嘘のように聞こえるんだよ

おまえが何にも言わないものだから
この街もとうとう日が暮れちゃったよ
俺は明日旅に出るよ
あいつとはきっとどこかで会えるような気がするよ

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回遊魚的近況

今週前半はある依頼仕事のロケハンでS県へ。その間に「プロレス昭和異人伝」さんとのコラボ商品の下準備。後半は見事に天気が崩れましたが、「未来」へと繋がるであろう会合が相次ぎ、非常に充実した一週間でした。

お陰さまでスケジュールも埋まり、来月から予定していたアクションを翌月に繰り下げることに。この件については、むしろ今持っているものをすべて吐き出し切ってからの方が好都合かな、と納得してます。

いざ男稼業を転がしていく際にも「興行論」的発想は実に肝心要であると痛感している昨今。

Sleepwalk 三態

夏になると無性に聴きたくなるインスト曲。

オリジナルはブルックリン出身(てっきりハワイアンかと思い込んでいた)のサント&ジョニー兄弟による59年のヒット曲。ハワイアン・スチールによる夢見るようなメロディが実に印象的。




で、それをStray Catsのブライアン・セッツァーが自身の教則ビデオで実演した映像。
オリジナルのスチールギターによるスライド奏法をテープエコーとグレッチのビグスビー・アームを駆使することで実に彼らしいロカビリー・テイスト溢れる解釈に再構築している。しかし巧いね。




しんがりはエイモス・ギャレット名人による日本でのライブ映像。
これまた彼らしい強烈なチョーキングとギター本体のヴォリュームを効果的に使った独自の解釈。



これだけ各人のアプローチが違っても、共通してオリジナルのドリーミーなイメージを損なってないのは、ひとえに彼らの技巧、センス、独自なアイディアの投入、そして何より肝心なのはオリジナルに対してどれだけ惚れ込んでいるかということだろう。心意気の度合いの問題とでも言うか。
同じオリジナルを模倣するという行為でも「カヴァー」と「コピー」とでは、その意味合いがまったく違うのである。これは決してくだらない言葉遊びではなく。

私も何時かは自分なりの解釈で「カヴァー」してみたい、そんな1曲。

こだわりの逸品を貴方に

昨夜は美術研究所時代からの友人であるM君のオフィスのあるK市へ出向き会食。彼と直接会うのは前回の個展以来だから、およそ2年弱振りか。ネットや携帯のお陰でそんなに会ってなかったとは思えないな。

彼から思わぬプレゼントを貰った。M君謹製キーホルダー。

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これを単なるトーシロのDIYだと思ってはいけない。
元々「物」にうるさいMであったが(突然呼び捨てになってますが、気にしないで下さい)その拘りはオーダーメードのスーツに始まり、レザージャケット、革製の時計バンドなどをフルオーダーで注文する徹底振りを以前から発揮していたのだが、遂に自分の手で納得のいく物作りを始めてしまった。どうやらネットオークションにも出品していたらしいが。以下、商品の「説明文」より抜粋。

【オリジナルハンドメイド キーホルダー】
・素材(ロープ及び金属パーツ)はすべて日本製
・ロープ部分は上質な国産ポリエステル素材
・金具類は、近年減少しつつある国産の真鍮無垢素材
・編み込みや、巻き上げはいたってシンプルな手法を用い、ロープワークの基本に則り、
 しっかりと丁寧な作業を心がけている

ありがちなレザーやシルバーを一切使わないところが実に彼らしい捻くれた実直さを感じる。
これら基本コンセプトを達成する為に、国内の各業者に問い合わせパーツ類を吟味・選定し取り寄せたそうな。ハ◯ズやその辺のDIY店で「あり物」をお手軽に調達したのとはワケが違うのである。

事実、手に取ってみると、「なぜコイツがこれを作りたかったのか?」という理由がよくわかる。
編み込んだロープのざっくりとした手触りが心地良く、真鍮素材(鍍金等の加工なしのソリッドなもの)もぬくもりがあって手に馴染む。日常で機能させることを前提に、物質としての魅力も同時に満たしている。こういうことは既成の様々な商品を実際に手にして、身銭切って自分の物として使ってみてからじゃないとなかなか良し悪しが理解出来ないものだ(「どうでもいい」とか「使えれば何でもいい」と思う人には一生縁の無い領域であるが、それもよし)。

私もこういう物にはうるさい方だが、なかなかやるじゃん、M君よ! 大事に使わせて貰います。

次はデジカメ用のハンドストラップをオーダーしてみようと思っている。別注品というやつだな。
その時はちゃんと「一顧客」として徹底した注文をするつもりなので、覚悟して待っててくれ。

(本品が気になった方はメール下さい。折り返しご案内差し上げます)

ツイン・ギター考

ツイン・ギターとは互いの「間合い」と「呼吸」が肝心なのだ、と教えてくれた曲。
両者があらかじめ決めてあることを単純に平行線で淡々と繰り返していては意味がない。どちらかが技量的に突出しているというのもあまり面白くない(タイプの違いは別として)。
明確に役割分担した上でのジャムセッション的偶発性と、そこに対応する瞬間的な「呼応」がなければ、それは単なるお稽古事の延長である。



そういえば学生の頃、この曲の入ったライブアルバムを聴いていたら、
「リズムパートのギターは絶対にクロッパーが弾いている!」と言って譲らない男がいた。
この映像を観れば、それが1/2の確率で的外れな見解であったことが彼にもわかるだろう。

これは「クロッパー=カッティング」というステレオタイプな固定観念によるイージーな誤解である。
素直に耳を澄ませて聴けば、単音フレーズの野太いサウンドがあのクロッパーのテレキャスターによって奏でられていることが容易に理解出来る。

この曲を支配しているのはマット・マーフィーのリズムギターであり(無論、ダック・ダンのベースもだが)ES-335を使用したカッティングはフェンダー系のサウンドとはまったく異質なギラつきがあるのが特徴だ。そこにクロッパーの無骨なトゥワンギーさが重なるイントロと間奏の緊張感がたまらない。

...御託はともあれ、理屈等抜きで格好良い曲なので是非ご一聴のほどを。

Corto Maltese

ネットオークションで購入した HUGO PRATT の代表作『Corto Maltese』シリーズ8冊が今さっき届いた。実は先週末に神保町の洋書系の書店を探しまわったのだが、どこもアメコミばかりだったり、在庫切れだったりで見つけられなかったのだ。本当に我が国ではマイナーな存在なのだな...。

灯台下暗し。手っ取り早い解決策は目の前のPCの中にあった。まったく、良い時代になったものだ。

L1010327.jpg

実物を手に取ると、その冊子自体の存在感にまず圧倒された。
すべてがA4版の大きなサイズで、ハードカバーのものはフルカラー。ざっと目を通してみたのだが、主人公のコルト・マルテーズが出没し、それぞれのストーリーの舞台となる世界各地の風俗についての解説や図版(これまたHUGOさんの手によるイラスト)もあり、ちょっとした民俗学の資料にもなっている。

以前、知人から「フランスのコミックの単行本はとても豪華な作り」だと聞いていたのだが、確かに日本のコミック文化とは一線を画す。まるでひとつひとつのコマが一枚絵のイラストと言ってもいいほど丹念に彩色され描き込まれている。おそらくどれもが単行本書き下ろし作品なのだろう。

こうやって1枚1枚じっくりと取り組めるスタイルのコミックならば描いてみたいな...現行日本システム(アシスタントを使った分業制で、雑誌に連載したものを改めて編纂する段取り)は真っ平御免被るが。

今後、BD(フレンチ・コミック)の世界から目が離せない。個人的にはまさに今が「旬」である。

夫々の故郷

JBが怒濤のファンク・ナンバーの合間に、不器用だが切々と唄うバラードが好きだ。
それはまるでヒールレスラーが試合中に時折見せる、ファイターとしての真のポテンシャルが発揮されたクリーンファイトのように、「何か」が垣間見えるリアリティ溢れる瞬間であるからだ。

しかもこの映像の頃(79年)のJBは落ち目の時代で、波に乗っていた70年代初頭のステージに於ける同曲の出来よりも、ドサ廻りを経験した故か「味わい深さ」が格段に違う。実に優しく、表現が豊潤になっている。やはり人間、苦労しないと得られないものは確実にあるのだな。たとえ天才でも。

そもそもジョージア育ちのJBによる「Georgia On My Mind」が悪かろうわけがない。想いの深さが違う。人の郷愁というものをナメちゃいかん...と、明確な故郷を持たない男は無責任にも思うのである。



焦らしに焦らされ(猪木のジャーマン)

若い頃は「心底に見たくて仕方がない」対象を拝めるのは滅多に叶わないことなのだと思い続けていた。また、そんなに簡単にこちらの願望が実現してしまうということなどあまりに呆気なさ過ぎて、逆に有り難みがなかったものだ。
自分が欲しい物と思うものはなかなか手に入らない。世の中とはそんなものだと普通に思っていた。

たとえば、70年代後期以降、猪木はまるで勿体つけるように滅多に伝家の宝刀であるジャーマン・スープレックス・ホールドをフィニッシュに相手を仕留めることがなかった。
日プロ時代はおろか、名勝負と謳われた一回目の猪木vs小林戦にすらリアルタイムでは間に合わなかった少年としては「映像」として猪木のジャマーンを見たことが皆無だったのだ。それこそ専門誌に再掲載された過去の試合の名シーンの写真を食い入るように眺めて胸を躍らすしか手はなかった。また、そのように空想する時間はとても楽しかった。

当時後継者と目されていた藤波が凱旋し、佐山タイガーが華麗にデビューした後、そのフィニッシュにジャーマン(あるいはその応用・派生のスープレックス・ホールド)が多用された。それは即ち、彼らがゴッチ-猪木ラインの直系の弟子であることの実に頼もしい証だったのだが、所詮はジュニアヘビー級である。師匠である猪木のジャーマンとは一発の重みと有り難味が違う。
だが、両者の美しいフィニッシュホールドを見るにつけ、猪木のジャーマン解禁への期待がむくむくと高まっていったのは事実である。

そんな頃、猪木は突如マスクド・スーパースターとの賞金vs覆面剥ぎマッチのフィニッシュで久々にジャーマンを出した。

「小林戦の時の首から落ちた後遺症でもうジャーマンは出来ないらしい」などと、まことしやかに事情通の友人が通ぶって語っていたのを憶えている。
友人の言う通りコンディションが悪いのか、あるいはスーパースターとの体格差故か、初めてリアルタイムで見た猪木のジャーマンは不格好だった。私が思い描いた、雑誌のグラビアで見た若き日の弧を描くような美しいブリッジを見ることは叶わなかった。

しかし、それまでの「もう二度と見られないかも知れない」という諦めと、こちらの想いの積み重ねと長い時間の溜めが混ざり合い、このフィニッシュを珠玉の瞬間にした。形の不格好さも「現在の猪木のありのままの姿」というリアリズムを十分に醸し出していたし、それを私はポジティブに解釈した。
もし普段から頻繁に猪木がこの技を濫発していたら、ここまでの期待と驚きとカタルシスは得られなかったであろう。

たとえ年月を経て様々な「真実」という名目の噂や裏情報を得たり、後から色々学習したとしても、その時の瞬間の私の感情は不変だし、何かを上書きして記憶を変質させる必要などないと思っている。それが過去の自分に対する誠実な態度でもある。



brown & white

以前こちらで書いた、一度はあまりの出来の悪さに靴箱へ放っておいたけれど最前線に復帰したDr.マーチン製白黒コンビのウイングチップを、その後気に入って履いていたはいいが、1日履き続けていると靴ズレで小指とカカトが痛くなるため閉口していた。
トウがかなり先細りで尖っているデザイン故か、はたまた基本的構造の悪さか、とにかく履いていると足の具合が悪くなる。しまいには歩行中に変な力を入れているのか、膝や腰にまで影響が出てきてしまった。おいおい、足の健康にいいというのがエアクッションソールのウリじゃなかったのか?

ということで、梅雨時の雨靴にでもと考えていたが、その前にリタイヤというか見切りをつけてしまった。所詮は安靴である(敢えて私の足のフォルムのせいにはしない)。

しかし出来の悪い子でも、その存在の喪失感は大きかった。
やはり今年はどうしても「コンビのウイングチップを履きたいのだ」という気運が例年になく高まっているのである。今履かなくてどうする? こういう我慢は禁物だ。心の健康によくない。

仕方がないので(?)先日家人が銀座で三味線の発表会に参加した折り、会場に荷物を届けて一旦の任務を終了した「付き人」はリハーサル時にわずかな自由行動の時間を頂き、某老舗デパートの紳士服売り場へと駆け込んだのであった。

実は以前から目を付けていた一品なのだが、某有名国産ブランドの普及品で、この手のデザインにしては比較的低価格、ソールもレザーでしっかりした作り。時流に合わせて若干ノーズが長めなのはご愛嬌ということで(だが、その方が着崩した格好に併せて普段履きするには堅苦しさがなくていいとは思う)試着してみたら履き心地も抜群(というか、前のが悪過ぎ)。

店頭には白×黒と、白×茶の在庫があったが、よりトッポさが漂う白×茶に惹かれた。やはり白×黒だと前時代的ダンディさが強調され過ぎて少々厭味かな、と。

L1010276.jpg

暫し悩んだ末に白×茶に決めた。この決断は我ながら正しかったと思う。
三味線発表会終了後に有楽町のビアホールで打ち上げを兼ねた食事をした際、あまりの嬉しさに同席した両親にまで箱から出して見せびらかしてしまう始末。
「あらま~、随分キザねえ、あなた」と、昭和30年代にこの界隈を大手を振って闊歩してたという元BGのお袋さんに揶揄された。何を言うか。私がこんな嗜好になったのは貴女の影響大なのだから。

数日後の天気のよい日の外出時に早速下ろしてみた。
半日歩き続けてもまったく疲れないどころか快適である。さすがレザーソール。
実はここ数年、革靴はレザーソールばかり収集している。履き込むと足の裏との一体感が心地よく、どんどん自分の足の形にフィットしていくのが魅力だ。

しかし雨の日の着用は革に水が滲みてしまうので禁物...お陰で目下、梅雨時用の対策へと意識は移行しているという堂々巡りっぷり。この調子で下駄箱&玄関が靴だらけになってしまうわけだな...。
まあ、決して今に始まった傾向ではないので、こればかりは生涯の宿痾として諦めるしかないだろう。

伝えることの難しさよ

しかし文章というものは、本当にその人となりが如実に現れるものだ。

「私は文章下手だから」「苦手だから」「面と向かって話さないと真意は伝わらないと思うから」

そんな自分の都合に合わせた言い訳をよく耳にするが、これはテキストを構築するテクニック云々の問題ではない。たとえヘタクソな文章でも、「ああ、あの人らしいな」という美文はいくらでもある。

いい加減な姿勢で生きていれば、そのいい加減さが文章にも反映する。知人へのプライベートなメールだからといって適当に済ませていれば、そこには言葉足らずな誤解も生じるだろう。
「他者に何かを伝えたい」という気持ちと真摯に向き合っていれば、決してテクニックなどなくとも言いたいことは確実に伝わるものだと信じている。

...じゃなきゃ、こんな駄文を毎回厚顔無恥にネットで晒していませんって(殊勝にも反省す)。

自分の至らなさを文章の責任に転嫁すべきではない。
最早文章は自分を離れて一人歩きする「身体の一部」なのだから、覚悟して送り出さないと。

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Author:泰山 / TAIZAN
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I'm just an average guy.

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