硬派の宿命・野望篇

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

真田十勇士

実は『新八犬伝』は番組中盤辺りからの参戦であった為、ストーリーの全容は同時期にNHKから出版されていたノベライズ版を遡って補完していたのであった。
確かに夢中になってはいたのだが、どうも「乗り遅れた感」があって、現在でも堂々自分のフェイバリット番組とは胸を張って表明出来ないのは事実だ。

で、結論を言ってしまうと、やはり後続番組となる柴田錬三郎原作の『真田十勇士』(75年4月~77年3月)こそが私にとって最高の「NHK人形劇」であり、小説、映画、漫画等、あまたある十勇士物の中でもダントツの存在となっている。これもひとえに放送第1回から最終話までリアルタイムで鑑賞し続けてきたという「関わった時間の長さと受け手としての積極果敢な情熱」の絶対的分量の結果であろう。

本作は、それら過去の様々な十勇士物をタタキ台にし、かなり斬新な設定となっている。
まず、主人公である十勇士の筆頭・猿飛佐助だが、その出自は武田勝頼の忘れ形見という荒唐無稽さだった。同じく、三好晴海入道は石川五右衛門の遺児、霧隠才蔵と筧十蔵は外国人(イギリスと明国)、高野小天狗に至っては高野山のカラス天狗がその実体である。まったく破天荒にもほどがある。
こうした柴錬オリジナルの型破りな新設定が古典的な歴史群像劇により重厚さとダイナミズムを増幅させているのだ。事実これぐらいのインパクトがないと、夕方6時の夕食時に当時のすれっからしのマンガ・特撮・アニメ世代の餓鬼共を惹き付けることは不可能だったのではないかと今にして思う。

しかし、いくら無茶苦茶な設定を取り入れたとしても、所詮本編は歴史物語である。事実に基づいた確固たる「お約束」はきっちりと押さえなくてはならない。過去の歴史を塗り変えることは出来ないのだ。事実に反すれば途端に子供騙しの茶番と化してしまう。だから、大阪夏の陣で豊臣方の真田幸村が勝利することは決して有り得ない。
最後は滅亡してしまう主君に仕え身を挺して活躍する魅力的な主人公たち...彼らの行く末は、当時の子供にとっては実に残酷でやるせない現実として待ち受けている。絶望的な結末。それがわかっていながらも、私たちは波瀾万丈なストーリーに胸をときめかせて毎夕の放映を食い入るように追っていた。

そこには作家の想像力という翼で際限なく嘘の付けるSFや近未来物のように「ファンタジー」という名の免罪符によるご都合主義的な逃げ道は用意されていない。ストーリーや登場人物たちはすでに明確に答えの出ている終末に向かって鮮烈な残像を残しながらただひたすら駆け抜けてゆくだけだ。
だが、逆説的にその足枷の不自由さが時代物の面白さでもある。いかに史実をねじ曲げずにその狭間でオリジナリティという創作的大風呂敷を広げられるか...これは後年、柴錬や山田風太郎といった突出した才能の作家たちが意識的に標榜していたテーマだったと知ることになるのだが、私はそのような醍醐味をすでにこの『真田十勇士』のお陰で少年時代に心ゆくまで味わっていたと言える。

あとは何と言っても『新八犬伝』から引き続き担当した辻村ジュサブロー(寿三郎)先生の手による人形たちの魅力が大きかった。日本の伝統的な美と、絢爛たるヨーロッパ風デカダンスの融合とでもいうべきか、その造形はまだ少年の中に眠っていた性的な高揚を呼び起こすほどの妖婉さに満ちていた。

柴錬とジュサブロー。希代の両作家のダンディズムの激突が本作を豊饒なる歴史絵巻へと昇華させたのは言うまでもない。また、これを子供向け番組として放映していたという事実が凄い。

___09_佐助

スポンサーサイト

 | HOME | 

■ プロフィール

泰山 / TAIZAN

Author:泰山 / TAIZAN
I'm a man.
I'm just an average guy.

■ 最新記事

■ 最新コメント

■ 最新トラックバック

■ 月別アーカイブ

■ カテゴリ

■ RSSリンクの表示

■ RSSリンクの表示

■ 検索フォーム

■ RSSリンクの表示

■ ブロとも申請フォーム

■ QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。