硬派の宿命・野望篇

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善悪の彼岸

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

フリードリヒ・ニーチェ



プロレスラー・三沢光晴選手のご冥福をお祈りします。

塞翁が馬ってことで

ようやく作業が一段落しました。

最近つくづく、現在の状態にあと10年、いや、せめて5年早く到達していれば...なんてことを考えたりもしますが、今の自分はそれだけの年月を経て形成されてきたのであり、たとえ若いうちにこの状況の中へ放り込まれても果たして太刀打ち出来たかどうか。
それこそ5年どころか1年前でさえ同じものの見方をし、同じ思考をしていたという保障などありません。まあ、人間なんていう有機的な物体はそんなあやふやなものでしょう。他者との出会いや外的要素からの影響もかなり大きいですし。

だから、無駄飯食って伊達に齢取ってきたわけじゃねえんですということを、今後の行動と結果で証明しなくてはなりません。やる前から努力賞、参加賞、皆勤賞狙いなんていう姑息な考えは論外ということで(ここまで追い込まないと駄目なんです、性格的に)。

明日は蜷川演出の『NINAGAWA 十二夜』を観に新橋へ。ケレン味をたっぷり喰らってきます。

久々のDSLR

D5000の登場でディスコンとなったD60を「敢えて」「今さら」購入した。

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元々、ニコンの小型で低価格な一眼エントリー機が一台欲しかった。
あてもなくぶらぶらと街歩きしながら目についた風景をスナップするのが主な私にとって、バカでかく重たいフラッグシップ機や中級機では嵩張って仕方がないのだ。旅先なら尚のことである。

D5000も視野に入れていたのだが、いかんせん動画やらバリアングル液晶といった余計な機能が付いていて値段も高い。あと、どんなものであれ「最新型」を持つという行為がどうにも恥ずかしくて餓鬼の時分から性に合わない(これは「江戸っ子気質」に相反する思考だが、所詮私は2/3であり、現代を生きる「東京人」だからまったく問題ないのである)。

ニコンに拘ったのは、我が家には銀塩時代の古いニッコール・レンズが何本も死蔵されているからだ。これらはAi改造されていない物だから下取りに出しても二束三文だという後ろ向きな理由もあったが、当時のオートニッコールは総金属製で絞りやフォーカスリングにまで綺麗にペイントが施されている。それらが長年の使用で剥がれ落ち地金が露になっているローレット部の「手擦れ」状態がなかなか美しくてどうしても手放せなかった(非常に「日本美術応援団」的発想だな、これ)。

要はこれらのレンズ群をどうにか活用しようと思った。しかし某他社製ボディにマウントアダプターというのもわざわざ状況を複雑にするようで回避したかったのは正直な話(それだけの理由ではないが)。

専門的な話になるが、こうした非Aiタイプのレンズは同じFマウントでもエントリー機にしか装着出来ないらしい。しかも制約が多く、露出計に連動しないからカンで撮影する。上がりはその場で液晶モニターを見て判断するという具合。これがマニュアルカメラ的で面白く、勘露出の訓練にもなる。
以前は旧型のD50でこのような撮影を楽しんでいたが、ファインダーの見辛さと液晶の小ささに難儀してた。この辺も後継機(間にD40とD40Xが入るが)のD60になるとある程度解消されているので快適だ。現代のデジカメに古びた60年代のレンズを装着するという見てくれのコントラストも自分好みである。

そして作品の為のマテリアルを撮影する際は機動性を重視し、割り切って最新の高倍率ズームを使う。ようやくデジタルとの付き合い方の距離感が理想的になってきた模様。

Magic Blue Van

以前仕事で御一緒させて頂いた小嶋貴之監督が手掛けたストレイテナーのPVが現在MySpace上にて公開されています。
何時もながら最前線でいい仕事されてます。めくるめく視覚の刺激とその可能性の追求。

Magic Blue Van



Training Montage

さて、ようやく本日終業です。

体育会系であろうと、文科系であろうと、地力をつける為には地道なトレーニングが必須なのは世の摂理である。でも世間には、いい年になっても「成長しないことは美しいこと」なんて夢見てる御仁がゴロゴロいるのが現実なのだが、まあそれはそれで結構。

「おめえはそれでいいや...」(まさか元ネタわかんない人、いませんよね?)といったところか。

しかし私は、現在の地点からまだ見ぬ場へと、さらなる高みを目指していきたい。到達出来るか否かはわからないが、その姿勢だけは固持していきたい。その為に、もっといろんなことを知り、体験したい。
これが、およそ10年間「死んでいた」男の切なる願望である。残りの人生なんて瞬く間に過ぎてゆく。

以前、ベストセラー作家になる前の養老孟司先生が言っていた。「知」とは「死ぬこと」だと。

「発見」とはそれまでの自分の認識が壊れること。知ることにより以前の自分が消滅する。それくらいじゃないと「知」とは言えない。「だから僕はしょっちゅう死んでいる。つまり書斎は死に場所だね」

(『男の隠れ家』1998年10月号「特集 書斎を見せる」より抜粋)

この場合の「書斎」を、「道場」や「ジム」と置き換えてもいいだろう。日々鍛錬。



では、おやすみなさい。

近況・09.6.X

目下、佳境です。今が一番苦しく、かつ充実した時間かも知れない。

今回は個人的にあらたな試みにトライしてみた。
おそらく他人が見ても「いつもと同じじゃない、どこが違うの?」と思われるようなレベルの問題だろうが、これは自分にとっては間違いなく大きな一足の踏み出しなのだ。

今後暫くはこうした挑戦の連続になる。これまでの貯金だけじゃやってけないな。

復活☆私の好きな映画のシーン #1

戦争の無惨さそのものよりも、そこへ向かってゆく組織というものの狂気の構造に虫酸が走りました。
また、こいつが元々愛嬌のあるデブ(ビガロ似)だっただけに、その末路が不憫でならない。




<追記>
本題とは関係ないのだが、先日の冤罪事件に関する話(「檻の中」つながりか?)。
本稿を書き終えてフトンの中でようやく入手した村上翻訳の『ロング・グッドバイ』軽装版を読んでいたら、こんな文章があった。
殺人容疑で留置所にブチ込まれ、尚も突っ張り通すマーロウに対し、エンディコット弁護士が諭す場面。

「警察に向かって嘘をついたところで、法律に反したことにはならない。警察にしたって黙秘を通されるよりは、嘘をついてもらった方がありがたいくらいだ。だんまりを決め込むというのは、権威に対する昂然たる挑戦だからね。そんなことをしてどんな得がある?」

蕎麦の思い出

ここのところ込み入った作業が続いているので、昼飯は専ら近所のコンビニで済ましている。
最近のお気に入りはセブンイレブンの「おろし蕎麦」。

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しかし近年のコンビニ弁当はよくできている。
これなんて、甘い蕎麦粉の風味まで再現されたコシのある平たい手打ち風の麺が、その辺の立ち食いなどよりも遥かに美味い。

私も今となっては麺類の筆頭といえば蕎麦なのであるが、幼少時に大阪で育ったせいか子供の頃は家でも外でもうどんがスタンダードだった。

小学校入学と同時に東京の生家に戻り、再び同居することになった祖父が土日は自宅の1階で書道教室をやっていた。親父は滅多に家にいない男だったが、たまに土曜が休みだと半ドンで学校から帰って来る私を待ち構えて「おい、蕎麦喰いたくなった。爺さん婆さんに言ってこい」となる。親父は毎日毎食麺類でもいとわない麺好きなのだ。
で、私が階下へ行き、書道教室が終わり部屋を片付けている祖父母に向かい「おばあちゃん、お昼作るの面倒でしょ。だから今日は店屋物にしようよ」と伝える。そんなことが月に2度ほどあった。

片付けが終わり、2階の居間に祖父母を迎え昼飯の到着を待つ。近所には出前をする蕎麦屋が2件あり、それぞれの味や特徴でその日に注文する店を祖母と母が選んでいた記憶がある。
出前のバイクのエンジン音が聞こえてくるとわくわくした。ようやく遅い昼食にありつける。

その頃の私は専ら「カレーうどん」だった。
祖父母と親父はもり蕎麦、お袋はいつも暖かいタネ物の蕎麦、と各々の嗜好がほぼ決まっていた。

ある日、さっさと自分のカレーうどんを食べ終わってしまった私は、まだ物足りなくて蕎麦をすする祖父の姿を眺めていた。よほど私の視線に訴え掛ける何かがあったのか、祖父は「泰◯、すこし食べるか?」ともり蕎麦を分けてくれた。それまでもり蕎麦、ざる蕎麦は「大人の食べ物」という認識があったので敬遠していたのだ。見た目の色見も地味だし、大体なんでいちいちつゆにつけて喰わなきゃいけないんだ、メンドウくさい...とばかりに。

祖父のざるから蕎麦を取ってつゆにつけて食べてみた。冷たくてうまい。
結局、残りを全部食べてしまい、爺さんから呆れられた。育ち盛りなのだから仕方がない。

こうして蕎麦の美味さに目覚めた私は、以降友人たちと遊びに行った時に最寄り駅近くにある馴染みの「山田うどん」に入る際も、専ら蕎麦を頼むようになった。
何故かうどんの時は「きつね」と決めていたのだが、蕎麦の場合は「たぬき」にしていた。子供なりに妙な拘りがあったのだな...と思うと、我がことながら微笑ましい。

硬質なる憐憫

先週末から渋谷の東急で開催されている中古カメラ市が今日で終わるのだが、我が家の居間のテーブルの上には何故かレンジファインダー・ニコンが2台...。

復刻S3がボディ単体とはいえ、こんなに安くなっているとは驚いた。
発表時の熱狂を知っているだけに、ここ数年ですっかりデジタルに駆逐されてしまった銀塩カメラの扱いに悲哀を感じた...だからと言って「消えゆくもの」に対する憐憫の情で購入したわけではないが。

購入した晩に、本機の製造プロジェクトを担当した水戸ニコン工場閉鎖の報を知る。おそらく、これでニコンの往年の名機が再び復刻される機会は二度と失われてしまったであろう。
おかげで、少々センチメンタルな気分になった。この機に遺産を入手しておいてよかったと思う。

しかしボディ2台に対して、Sマウントのレンズが1本しかない。どうしたものか。

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『そして彼が死んだ』北方謙三

幸先が、よかった。

と、北方先生風に唸ってしまうほど、現在の心境にマッチした一冊だった。
ここ数ヶ月ほどまったく小説を読む気にならなかったのだが、これから心機一転、本来の男一匹で明確かつ無謀な目標に向けて踏み出していこうというムードにぴたりと重なった。これが男のシンプルさだ。


自動車修理工場を営む小川は妻と高校生の息子、そしてすっかり愛想のなくなった老犬と共に平凡な日々を暮らしていた。
ある日、事故で大破したと思わしきポルシェの「起こし」を依頼しに、一人の男が彼の工場に訪れる。矢部という、どう見てもカタギとは思えないその男は、小川を惹きつける不思議な魅力を持っていた。
元々レースカーのメカニックだった小川は、その無茶な注文を一旦は拒絶するが、矢部のどこか憎めない愛嬌のある性質、そして彼が過去に身に就けていた技術者としての徹底したスキルとプライド、さらに内に秘めた「ぎりぎりのやり取りへの渇望」に導かれるまま、すべてを引き受ける。
その一件の後、矢部との信頼の絆を深めた小川は、彼とコンビを組み中古車の海外輸出の片棒を担ぐ。やがて、そんな彼らの商売に駆逐された格好となった古参の大物中古車ブローカーとの抗争へ巻き込まれてゆくことになる。自らの本能の赴くままに。


...まあ、ざっと流れを書き出すとこんな感じでしょうか。

要は名作『檻』の流れにある近年の『擬態』『煤煙』などへと繋がる、90年代以降の歴史大作群を通過した上での、彼本来の資質でもある "そこはかとない純文学的エッセンス" の散りばめられた「北方・現代ハードボイルド物」への系譜とでも括ればいいのか。
何不自由なく安穏とした生活を送っている中年男が「あること」を契機に己の秘めたる獣性に目醒め、ひたすら暴走してゆく...たとえその先に破滅が待ち受けていようとも。
この点に美学が感じられるか否かで、おそらく人間は2種類に大別されてしまうのだろう。

ということで、健全に現在の安定した生活をまっとうされたい方にはお勧めしません。
それはひとえに、本作を単なる「男のハーレクイン・ロマンス」としてお手軽に読み飛ばして頂きたくないからである。自身の実人生に投影させなくて何が読書か。


そして彼が死んだ (講談社文庫)そして彼が死んだ (講談社文庫)
(2009/05/15)
北方 謙三

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Author:泰山 / TAIZAN
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