硬派の宿命・野望篇

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THE GROOVERS #3

右耳の聴覚もほぼ回復し、ようやくステレオ状態を受け入れられるようになった両の耳で手に入れたばかりの『Top Of The Parade』を聴いた。

1993年。当時は80年代末からの「バンドブーム」という極めて初期衝動(うわー、タイプするのもおぞましい「言い訳言葉」だな!)のみに頼った稚拙でイージーな音楽が世に蔓延る状態が一段落し、真逆の方向からはエイベックスやビーイングといった巨大資本をバックにした職能集団の手による軽薄短小な売れ線音楽・所謂「J-POP」が世を席巻し始めた頃だった。

THE GROOVERSはそんな直中に、先人たちから受け継いだ音楽的マナーや剥き身の言葉といった硬質な部分と同時に、良質なポップさを自覚的に携えて荒涼たる大海へと漕ぎ出していた。そして何より素晴らしかったのは、彼らは何者にも似ていなかったということだ。

「本物」はどんな状況だろうと周囲に振り回されることなく鋼鉄の意思で自身を貫くべきだし、貫かなければならない。果たしてお前は「本物」なのか?

私は『Top Of The Parade』を通じて、彼らは「お前はどうなんだ?」という鋭い切っ先をリスナーの喉元に突き付けているとのだと、一聴して確信した。まさに「俺を試してる」だ。

当時の私は彼らのように「行列の先頭」に立つどころか、行列のドンケツにくっ付いて行くことすら叶わないほどに精神的・肉体的に追い込まれ弱り果てた状況だった。
それまではひたすら自分の立ち位置を、組織の中に身を置いてこそ初めて成立するものだということに拘泥していた。整備された環境に身を置いて初めて自身の能力がようやく発揮されるというメカニズムに対し何の疑問も抱いていなかったのだ。
それが逆に、自分に対しての重圧になっていた。周囲に溶け込めない自分。組織の一部分になり切れない自分を、自らが叱責していたのだ。

だが、彼らの新しい音楽に触れて、すべてが吹っ切れたような気がした。俺は俺の行列を作り上げればいい。たとえ其処に自分一人しか居なくても、それは「行列の先頭」に立っていることには変わりはない。そしてそのまま行進を続けていれば、誰かが後続してくるかも知れないではないか。心の通じ合った仲間が出来るかも知れないではないか。

取り敢えず私は自分一人で出来ることから始めようと思った。そして数年感描いてなかった「自分の作品」を描こうと決意した。所有していた絵の具はすべてチューブの中でカチカチに乾涸びて使えなくなっていたので、全部ゴミ箱に捨ててしまった。明日は電車に乗って街に出て、新しい絵の具を手に入れよう。まずはそこからだ。



『Top Of The Parade』に収められた曲の数々はは、90年代に於ける私の生き方の指針となる示唆に溢れていたことは間違いない。

「HARMLESS MADMAN」だった自分は、バブル崩壊後のこの時代に「世界中が静まる頃 沈黙に飽きるんだ」とばかりに心の中に「鉄の旗」を掲げ「世界中が傾いたら まっすぐに立ちあがる」ことが出来た。うまくいかないことがあれば、深く考え過ぎずに「明日にしよう」ぜ。どうせすべては「錯覚」だ。「永遠」に「このゲームは終わらない」のだから、悠々と「メロディ」を口ずさみながら「この世の風穴」を見つけよう。其処が常に俺の「現在地」...

それから数年後、私はある場所で藤井一彦と知り合うことになるのだが、この話はまた別の機会ということで(と、講談っぽい終わり方で今回は締めます)。

(この項終わり)


Top Of The ParadeTop Of The Parade
(2007/07/25)
THE GROOVERS

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THE GROOVERS #2

日々、悶々としていた。
昼夜逆転なんてもんじゃない。真っ暗な部屋の中は時間という感覚すらが意識から遠のいてしまう。なんで俺はこんなことになったのか...

前年の春にデザイン事務所に就職してから、丸一年仕事漬けの毎日だった。高経済成長期の猛烈企業戦士だった親父にさえ、私のあまりにもハードな勤務状況に「お前、このままだと絶対ブッ壊れるぞ。テメエの身体なんだからな。具合悪かったら仕事置いてそのまま帰って来いよな!」と珍しく優しい言葉(我家比)を投げ掛けられる始末。

で、親父の言う通り、見事にブッ壊れた。
まず春先から右耳の聴力が極端に低下し始め、神田に在る耳鼻咽喉科の専門病院で精密検査を受けても異常なしとの診断結果。しかし、どんどん耳は聴こえなくなっていく。
更に風邪をこじらせて、回復しても咳が止まらない状態が2ヶ月近く続いた。これは耳と違って仕事に大きく影響するので難儀した。

それまで私は精神的なプレッシャーや故障にはそこそこ馴れていたつもりだったが、若さ故に自分の肉体を過信し過ぎていたのだ。一旦身体が言うことを聞かなくなると、精神までもが弱気になってくる。健全なる精神は健全なる身体に宿る...それをこの時の経験で痛感した。

結果、通勤列車に乗ることすら不可能になる程の神経衰弱に陥り、退職せざるを得なくなった。
私は上司に対し辞表と共に医師の診断書...この患者には静養が必要であるという旨の...を携え、残りの有給休暇をすべて使い果たした上で改めて進退について話し合いたいと伝えたが、

「じゃあさ、今すぐ辞めてくれる?」

という一言で、あっさり会社から放逐された。
その足で仕事机を片付け、私物を紙袋に詰めて帰路に就いた。外まで見送りに来てくれたのは30人近く居る社員の中で1人の社員と1人のアルバイトだけだった。
仕事を辞めた日の翌朝、まるで憑き物が取れたように右耳の聴力と咳がすっかり治っていたのには驚いた。やはり精神的なプレッシャーが原因だったのだろう。

しかし、日々のハードな業務を離れてからというもの、また別の重圧が私にのし掛かってきた。
果たして、自分はこれから何をやればいいのか?

私がそのデザイン事務所に就職したのは、現場でのキャリアと基本的なノウハウを身に付ける為だった。そして時期を見計らって次の段階へ移行しようと考えていた。「次」とは、より規模の大きな企業である。私そこで音楽に携わる仕事をやりたいという夢があった。青写真はすでに頭に中で出来上がっていた。自分のように途中で学問を放り出した半端者は、そうやって現場で修練を積んでステップアップしていくしか手立てがないということはよく分かっていた。

しかし、現状では会社に勤務するなど到底不可能だ。何しろ電車に乗るのが恐ろしくて仕方がないどころか、昼間外に出るだけで他人の視線が気になって吐き気をもようしてしまう程の重度の自律神経失調に陥っていた。肉体の傷は癒えても、弱り切った精神の回復にはまだ当分時間が掛かるだろう。

「俺はこのまま廃人になってしまうのか?」という恐怖感。
何の社会的な保証もなく「まっとうに生きていくこと」すらを拒絶され、これまで思い描いていた未来がすべて閉ざされたような気がした。

悶々とした日々を、毎夜家でアルコールを引っ掛けて神経を麻痺させ、その勢いで行きつけのBARへと出向き、顔見知りたちと馬鹿話をしてやり過ごしていた。酒を呷ることで現実逃避していた。その結果、あっという間に体重が5kg増え、あまりの体調の悪さに病院で精密検査を受けたら「急性脂肪肝」と診断される。そこで医師から無期限の禁酒を言い渡された。

そんな精神的にも肉体的にもどん底の頃に、新生THE GROOVERSが遂にメジャーデビューするという報を聞いた。就職する前に彼らのライブを観に行ってからというもの、前年に自主制作でシンングルを出したという話は知っていたが、殆ど情報が入って来ない(というか、こちらにそんな余裕がなかったのだが)状態だった。

私は日中の陽光と往来を行き交う人々の存在に抗い、途中で何度も嘔吐を繰り返しながらも最寄りのCDショップへと赴き、発売されたばかりのアルバム『Top Of The Parade』を手に取ってレジへ向かった。
とにかく、新しい刺激を体内に入れたかった。新しい音楽を身体が欲していた。そうしなければ自分が再生出来ないような気がしたのだ。
理由はよく判らないが、その時の自分にとってその役目はTHE GROOVERSでなければならなかった。私は自分の嗅覚を信じた。

(この項続く)

THE GROOVERS #1

日曜。吉祥寺・ROCK JOINT GBにてTHE GROOVERSのワンマンを観た。実に10数年振りになる。

THE GROOVERSはデビュー時の4人編成の時代からその存在は知っていたが、俄然興味を持ったのはギタリストの藤井一彦が「頭脳警察」のリユニオンに参加したという情報を得てからである。

どういう経緯なのかは定かではなかったが、自分と同世代の一彦が数々の武勇伝を持つ極めてポリティカルな伝説のバンドに参加するという不可思議なバランスが、当時の私の瑞々しい好奇心をヒリヒリと刺激したのは確かだった(それは80年代に「無共闘世代」と揶揄された我々が、「ひょっとしたら俺たちにも自分の誇りの為に闘って死ねる場所があるんじゃないのか?」という可能性を、上の世代と「共闘」している一彦の姿を見て感じ取ったからではないか...なんて、今になってこじつけてみたりする)。

一度だけ4人編成時代の彼らを生で観るチャンスがあった。
忘れもしない91年夏の川崎クラブ・チッタでの「ジョニー・サンダース追悼ライブ」への出演。ところが当日会場へ行くと「本日出演予定のザ・グルーヴァーズは諸事情によりキャンセルとなりました」との張り紙が。よって、残念ながら私はこの日彼らを観ることが叶わなかった。
直後、ヴォーカリストの脱退、そして残ったメンバーで3ピースバンドとして活動を続ける旨が専門誌等にアナウンスされていた。

その後、彼らは既存の曲を捨て新たなレパートリーを書き貯め、まったく新しいバンドと言っても過言ではないほどに生まれ変わった形態で再出発する。
その時の私の一彦への期待は、シド・バレットを失った時のロジャー・ウォータース、イアン・カーティスを失った時のバーナード・サムナー、大江慎也を失った時の花田裕之の姿を重ね合わせで見ていたのかも知れない。

「果たしてどう出るのだろう、あの男は...?」

数ヶ月後、初めて彼らのステージを下北沢シェルターで観た。
今から考えると、まだまだ拙かった一彦のヴォーカルは、自身の現在のリアルな立ち位置を精一杯高らかに表明していた。その姿は実に生々しくも潔かったと、この眼と耳と皮膚が今でも記憶している。



(この項続く)

知覚の向こう側へ

老いも若きも、自分の好きなモンばかり選んで喰ってたら脳味噌の健康に悪いよ。知覚を研ぎ澄ませて、住み慣れた状況から未知の領域へ一歩踏み出してみよう。そうしなければ何も始まりはしない。



ひと作品描き終わった。だが相変わらず達成感は無い。今考えていることは「次は何を描こうか?」の一点のみ。これまで何時もそうだった。
でもこれがルーティーンになる様だったら、すべてをブチ壊すのもまたアリだ(笑)

カズリン, ミッキー & タカピー

雨の金曜日。吉祥寺 ROCK JOINT GBにて。
まるで7~80年代の「ワールドプロレスリング」のテロップみたいな荒々しい手書き文字だな!(笑)

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15年程前、まだ20代だった藤井一彦(THE GROOVERS)、伊東ミキオ(当時・SAILIN' SHOES)、高木克(当時・SHADY DOLLS)の3人による暫定的なアコースティック・ユニットがあった。その名も「カズリン, ミッキー & タカピー」(命名・スマイリー原島先生)。

話せば長くなるので端折るが、当時下北沢の音楽事務所にデザイナーとしてで出入りしていた縁で、不定期に行われる彼らのステージを頻繁に目撃していた。
直接の知り合いになる以前から私が彼らそれぞれのバンドのファンであり、また自分も含め皆が同世代という付き合い易さもあって、打ち上げにもよく顔を出させて貰い音楽談義(ほかにも色々あるが)に花を咲かせたり。皆が私の個展を観に来てくれたりもした。で、厚かましくも「このユニットでCD出すのなら俺にジャケ描かせてくれ!」なんて話にまで発展したり...まさに私の青春ど真ん中。

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その後、彼らはそれぞれのキャリアを重ね、この度、久々に三人で競演することとなった。万感の思いで会場へと向かう(ちょっと大袈裟・笑)。

この夜の構成は当時とは違い「高木 → 高木&ミキオ → ミキオ → ミキオ&一彦 → 一彦」という流れ。それぞれのソロパートがあって、休憩を挟まずその間をセッションで繋いでバトンタッチしていくという形。そして最後に三人揃い踏みで「カズリン, ミッキー & タカピー」と相成る。

各ソロパートはやはりこの15年間の各々が経て来た音楽人生や実生活(この辺詳しいことは知りませんが)がパフォーマンスに反映されているというか、各人のパーソナリティが確立され最早風格が出てきている...年齢的に当然と言えば当然なのだが、彼らはあまりに若々しくイメージが15年前と変わってないから何とも不思議な感覚だ。

そこで三人での演奏に、あの石橋凌氏が飛び入りするというサプライズ。現在、一彦&ミキオを従えてソロアルバムを制作されているそうで、この日もその関係で当日にミキオから出演願いがあったという話を面白おかしくMCした後「MoJo Workin'」と「Route 66」を熱唱する。まるでマディのようなゴッドファーザー的迫力と貫禄に圧倒された。「カズリン, ミッキー & タカピー」も偉大なる先輩のバックに徹し、少年時代に戻ったかのようにロックンロールをラフに無邪気に楽しそうにプレイする。

思えばこの三人のパートって、15年前に一緒にやってた頃のレパートリー(オールドR&Rの日本語カヴァー)ばかりだった。要は当時演っていた曲をそのままプレイしたのだろうが、20代の頃からこんなに渋いルーツ嗜好だったのだなと関心した。逆に年齢の方がようやく楽曲に一致してきたというか。
これは各人が1ミュージシャンとして、決して「若さの瞬発力」だけでなく、自分の表現を構築する意外にも1リスナーとして新旧さまざまな音楽を吸収・咀嚼し血肉化してきた賜物だろうと思う。音楽人としての訓練や冒険を日々怠らなかったこそ彼らは現在も第一線で活躍出来ているに違いないと確信している(だからこそ石橋凌氏ほどの大物が飛び入りをOKしてしまうのだろう)。元々、図抜けた才能が備わっているというのは当然の話として(それでも駄目になる奴はいくらでも居る)。

上下左右世代など関係なくセッション出来たり、バンドを離れて一人で表現出来る行動力とポテンシャルとコネクションを持ったアーティストはやはり強いな、と痛感した次第。だから彼らは還暦過ぎても余裕でステージに立ち続けていると私は断言出来る。無論、私も客席で「競演」し続けていたい。

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伊東ミキオ氏のブログ「mikio.net Blog」にこの日の模様がが掲載されています。

THE GROOVERS(藤井一彦)
伊東ミキオ
ソウル・フラワー・ユニオン(高木克)

石橋凌 OFFICIAL WEB SITE

きまぐれ航海士

水面下で「潜行中」の「現在地」のほんの一部を、チラリズム。

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「爆弾」
作詞:柴山俊之 作曲:鮎川誠 編曲:サンハウス

爆弾かかえて潜航中 俺は荒くれ航海士
ヤバイ事などまき散らし 探し出してはぶちこわす
 
一本切りの綱渡り ここは地の果て 地獄の手前
危険承知の荒治療 命いらぬ奴はついて来な

世間知らずの箱入りむすめ そこの教育ママさんも
俺の腰には気をつけな 魚雷があんたをねらってる...

そのうちあんたもおかしくなって 泣いて叫んでのたうちまわる
しつこくベタベタしないでおくれ 俺はきまぐれ航海士
 
爆弾かかえて潜航中 俺は荒くれ航海士
ヤバイ事などまき散らし 探し出してはぶちこわす

ぶちこわせ...
ぶちこわせ...




続・いい声で鳴かせてやってくれ

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ソウル・フラワー・ユニオンのレコーディングに参加していた我がES-355が帰還。昨夜は受け渡し時に、東高円寺のカフェで高木克とビールを飲みながら暫し歓談。
今週末、久々に古い仲間たちと競演するとのこと。個人的には非常に楽しみな面子。

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2010.07.09(金)【伊東ミキオ/藤井一彦/高木克】
アコースティック69 Paradise
吉祥寺・ROCK JOINT GB
開場 18:30 / 開演 19:00
前売 3,000円 / 当日 3,500円
問:吉祥寺ROCK JOINT GB 0422-23-3091
http://rock-gb.com/news.html

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さて、レコーディングの成果は如何に?
これまた楽しみ、なのである。



アンサー・ソング

寺尾聰「Re-Cool 二季物語」

特筆されるべきは、この曲の二面的(シンメトリー)な構成...まず現在(冬)、そして過去(夏)という時系列が逆さになる展開。さらに季節と歌詞の語り部の心境が見事に曲調(前半しっとり、後半躍動的)に反映されるという点。

今では死別してしまった女と、昨年の夏に出逢った時の希望に満ちた男の気持ちを描写した状態で曲が終わってゆくという虚しさ...(聴き手は男の来るべき不幸をすでに知っているというのに)。

互いに呼応する「現在」と「過去」。1曲の中で二つの要素が「アンサー」し合っている。こうした重層的な心模様が、短い曲でありながらも一遍の小説や映画にも匹敵するであろう深味と余韻のある世界観を構築しているのである。

例えば、これに近い表現としては、タランティーノの『パルプ・フィクション』や、船戸与一の『メビウスの時の刻』辺りを個人的には想起してしまうが...如何だろうか。



中学生でこんな歌詞の世界に耽溺してたら、そりゃ脱線もしますわな。
数年前に『Re-Cool Reflections』が世に出た時はあまりの嬉しさで小便ちびりそうになった。兎に角、それぐらい好きなのだ。

夏の色調

今日から7月。いよいよ夏本番。
夏生まれには嬉しい、心身共に開放的な気分になれる季節です。

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ところで真夏にも「雪解け」があるってご存知でした?
人の心なんて所詮、そんな"一瞬先は闇" 的な移ろい易いものなのです(と、フォークソング風の「ですます調」で締め括ってみる)。

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I'm just an average guy.

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