硬派の宿命・野望篇

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訣別(三発の銃弾)

原作版『野獣死すべし』で、伊達邦彦が犯行後に真田を射殺し、ドラム缶の中にコンクリ詰めにして東京湾へと廃棄したのは、単に共犯者の口封じの為ではない。

これは自身の中に流れるセンチメンタルなものの「最後の一滴」を絞り切る儀式でもあった。

伊達も真田もこの時点では、大藪初期作品の於ける多くの「伊達邦彦になれなかった男たち」と何ら変わることのない素性の「一犯罪者」に過ぎない。伊達はその敗北者たちの屍の群れから、まるで芥川の『蜘蛛の糸』のカンダタの如く一本の命綱(伊達の場合は自身の「器量」である)を頼りに抜け出し、只一人勝利する。その為には「もう一人の自分」である真田を生け贄にするしかなかった。

映画版『野獣死すべし』で、伊達邦彦が自身に恋心を抱く顔見知りのOLを射殺した理由も同様に、犯行を成立させる為に足枷となる自身の「あらゆる人間的なもの」を粛正する行為だった。

私は、伊達は彼女に心が傾きかけていたのだと思っている。事実、彼女と別れた後に一人自室で巨大なスピーカーに耳を当て悲壮なクラシック(曲名失念)を聴きながら苦悶するというシーンがあるが、これは伊達の中に残っていた人間性と、野獣たらんとする非人間性との最後の葛藤を描写しているのだと私は捉えている。

結果、伊達は自らの手で自身の人間的な「性(SEX)」を棄てた。

そして彼らと同様に、著者の大藪春彦も『野獣死すべし』という弾丸を文学界に撃ち込むことによって、自身が過去に耽溺し、かつ作家としての原動力となっていた「純文学」と完全に訣別したのはご存知の通り。

パーン。

パーン。

パーン。

と、三発の銃弾の発射音が、私の頭の中には今も木霊している。



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