硬派の宿命・野望篇

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What Are You Doing New Year's Eve

本年最後の記事がああいった内容というのも何なので。



それでは皆様、良いお年を!

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独りではなく

長い一日だった。

翌日から臨月となる家人と共に、何時ものように水曜日の午前中から掛かり付けの病院へ行った。ちょっと前までは隔週だった定期検診も、今では毎週通っている。
毎回家人が先に病室に入り、待ち合いのソファーに座っている間に看護士の方から呼ばれて担当の先生の説明を受けながら一緒にエコーを見るというのが恒例である。

この日もいつもと同じく遅れて病室内に入ると、家人の表情が硬直している。先生も看護士の方も神妙な顔付きになっている。実は以前にもこういう雰囲気の時が何度かあったので(それらはすべてクリアしてきたが)おそらく何らかの異常が発見されたのではないかというムードはなんとなく推測出来た。

細かいことは書かないが、現時点での母体と胎児に厄介な事態が起こっている可能性があると先生から事情を説明された。「今すぐ入院させなさい」と。家人の腹を見るとぱんぱんに膨れあがっている。所謂「腹が張る」という状態だ。
私は気が動転したが、平静を装った。何故ならば、家人のショックは私どころではないということが容易に予想出来たからだ。

そのまま家人は車椅子に乗せられ、年配の女性の看護士さんに引率されて産婦人科の入院病棟へ。無論私も同行する。数週間前に病院が開催した育児に関する集会に参加した折りに、すでに病棟内を見学していたので少しは精神的な余裕があった。

私は当人の代理で入院手続きを済ませ、病室の家人に必要な物を聞き、そのまま一旦自宅へと戻り、着替えやら生活必需品を鞄に詰め込んだ。実家と家人の実家にも連絡した。なるべく皆の不安をかき立てないように刺激的な言葉を使わないよう注意して家人の現状を説明する。しかし杞憂だった。さすが年長者たちは肝が据わっていて、皆が非常事態を冷静に受け止めてくれた。一番舞い上がっていたのは実は私だったのかも知れない。

病院へ戻ると、ベッドに横たわり左腕に点滴を射たれた痛々しい家人の姿があった。私が不在の間に再検査を受けたが、今度は異常が見られなかったとのこと。それを聞いて少し安心した。

先生が病室にまで来られ、今後のことについて話して下さった。「あと一週間は様子を見たい」と。そうすれば正常な出産の目安となる時期に到達するという。

「正月は初詣に行って安産祈願しよう」と家人と話していたが、それどころではなくなった。両親を我が家に呼んで四人で食事する予定も吹っ飛んだ。この年末年始をたった一人で不安を抱えながら病室で過ごさなければならない家人の気持を思うと胸が張り裂けそうになった。

この日は結婚以来初めて独りで自宅で一夜を過ごした。頭の中は家人と胎内の子供が直面している危機に対する不安でいっぱいだった。「憔悴する」とはこういう状態のことを指すのかと、客観的に思っていた。
こういう時、男親は本当に無力である。自分の不甲斐なさにウンザリした。身体はくたくたに疲れているのに神経ばかりがピリピリとして朝方まで眠れなかった。

仕方がないのでネットで今回の状況に関する前例を調査した。すると同じ様な、或はもっと過酷な思いをした親御さんや子供たちが大勢居ることを知る。これまでが特に大きな問題もなく順調過ぎただけなのだ。

俺が動揺してちゃいけないな、二人を守ってやらなくては、という思いを改めて深めた。これもネットの恩恵である。


本日は午後から病院へ赴いた。結局3時間程しか眠れなかったが、今は自分の身体のことなど後回しだ。
病室に入ると、幾分和らいだ表情の家人の顔を見て安堵した。その後の検査でも特に前日のような異常は見られなかったという。

午前中に家人の実家から届いた、彼女が赤ん坊~幼少の頃に着ていた服の詰め合わせの中から一着選んで持参した毛糸で編んだフード付きのコートを彼女に渡すと「これ、なめちゃん(我が子の胎内名)が生まれたら着せよう」と言って無邪気に喜んでいた。

明日(大晦日)の病院食は、どうやら年越し蕎麦が出るらしい。
大好物が食べられてよかったな。

テーゼ

文句無しに格好良い。1月に渋谷で観たステージを思い出す。

ジュダの粗っぽいカッティングを聴いているとVelvetっぽい要素まで感じてしまう。60年代から脈々と続くNYアングラ的フリーな手触りとでもいうか。何よりメンバー同士が顔を見合わせ「音」で会話し合っているところがいい。本来、バンドとはこういうものではなかろうか。




事前に取り決めた約束事だけを本番で反復しソツなくこなすよりも、その時のインスピレーションやアドリブでもって手探りで空間を創り出して行くアプローチの方がやる側も見る側も刺激的だし、何より当人たちの技量や潜在能力がリアルに測定される厳格な瞬間でもある。

もしそれが出来ないのならば、ステージやリングに上がることなど辞めてしまえ。

泰山堂金言集 2010

Xマスも終わり、師走ということで今年も纏めてみました(相変わらず、かなり傾向が偏ってますが)。<昨年の金言集はこちら


1月
感傷的で悪かったな 少しぐらい勉強ができるからっていい気ンなるなよ この野郎! あれも戦争これも戦争 どこで死ぬかぐれーは手前の趣味を通してェ
(矢作俊彦・大友克洋『気分はもう戦争』)

2月
そ... やっぱいきがっても女は女... はやくおやっさんのとこへ戻んな 手荒いことは男にまかせて 女の手にはお人形 男の手には拳銃 それぞれ似合うもんがあるんだぜ!!
(望月三起也『優しい鷲JJ』)

3月
涙も涸れ...ました...哭くことも忘れました...そして私はここに来ました...ここに居ればあの男に会える...(中略)...その日がとうとうやってきました...お願いでございます あの男の首を洗わせて下さいまし
(小池一夫・小島剛夕『首斬り朝』)

4月
街灯の火は消えたって心のあかりは消えやしねえ みんな大事に何かを守り 今日の眠りにつくだけさ だからおやすみ みんなおやすみ 掃除係のおばさんも公園夜回りのおじさんも 俺の素敵なマチルダも...
(トム・ウェイツ「トム・トラバートのブルース」)

5月
私は苦笑した。単に「いい子、いい子」をしてもらいたがっているのが、今の自分だ。疲れ傷ついて、甘える相手を捜している。警察官であれば、組織がそれを受け入れてくれた。(中略) 今の私にはそれがないだけだ。
(大沢在昌『パンドラ・アイランド 』)

6月
我々は戦争をしている…我々の戦闘にパリのデカダンスは無縁だ
(矢作俊彦・大友克洋『気分はもう戦争』)

7月
そのとき、虹を背にして二羽の大きな鳥が舞い交いはじめるのが見えた。猿喰い鷲の番(つがい)だ。(中略)死に絶えるな、絶対に! おれは肚のなかでそう呟いた。次々と雛を育てろ! 胸の裡でそう願った。
(『船戸与一『虹の谷の五月』)

8月
おれには娘がいる。考え方はちがうが、いい娘だ。そしておまえにもいい息子がいる。おれの血もおまえの血もこの世に残るんだものなあ。じきに俺もお前のところへ行くぞ。ゆっくり話をしよう。
(松本零士『わが青春のアルカディア』)

9月
大藪さんの作品のなかで主人公が目的を果たしたあと、虚しさや虚脱や寂寞はない。主人公に託されるのは新たな破壊に向かっての疾走の予感である。主人公は血しぶきの巡礼者としての成長を義務づけられるのだ。
(船戸与一「小説作法に関する若干の考察」)

10月
歩き続けたその道に 暑い風は吹いてたかい いつかはオレも歩いてみるよ そう遠くないうちに 今日は一日雨が降るらしい こんな日にオマエは何して過ごす 探しはしないし 心配もないけど 思い出したら 手紙でもくれ
(花田裕之「手紙でもくれ」)

11月
死者たちを埋葬してやれないのはこころ残りだが、それはしかたがないだろう。そろそろ行かなきゃならない。死者たちのだれからも頼まれた仕事が残っている。
(船戸与一『炎 流れる彼方』)

12月
その道に生きる者はその道に死す.....しょせん武士は武士か.....
(白土三平『七ツ桶の岩』)


毎月選出するのに、結構頭を捻ります。
来年も引き続き。

merry Xmas





half a year

付き添いで病院へ行うようになってから半年が経つ。
2週間毎に通る道もその間に表情が段々と変わってきた。

それは季節の移ろいによる草木や花々、空気の匂い、空の色、日差しの表情といった自然の変化だけでなく、たとえば自宅裏の社宅が丸々取り壊されてゆくような人為的な動きも含め、おそらくそれらを見る自分の内面もまた大きく変動しているのではなかろうか、なんて思っている。

「世は無常」なんて簡単には言うけれど、なかなかそれらを受け入れるにはまた、勇気と度量が必要ではないか。

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『大激闘マッドポリス'80』30周年記念イベント

一昨年、創刊準備号の表紙イラストを担当させて頂いた『映画時代』さんが主催されているイベントへ、春に開催された「『探偵物語』30周年記念」に引き続き伺って来ました。

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闘う映画ZINE「映画時代」Presents
巨大な悪、ジャパンマフィアを壊滅せよ!
火曜9時の茶の間に殴りこんだ
“東映映画”=前代未聞のスーパー・ポリス・アクション降臨30周年記念
東映ファンが、NTV火曜9時マニアが――!
全員腰を抜かすスーパー・トークセッション、マッドポリス'2010――開催!

“大激闘 Strke Back!!!!!!!!!!!!!!!”
2010年12月4日(土)16:00より、人形町三日月座にて開催!

【トークセッション出場者】
山口剛(『大激闘』プロデューサー)
当時、日本テレビに籍を置き、石原プロの名作『大都会』を超えるアクションを!と『大激闘』を企画。

柏原寛司(『大激闘』脚本)
シリーズ中でも人気の高い、「破壊」「脱獄」などの名エピソードを手がけ、メイン.ライターの一角を担う。

杉作J太郎
男の墓場プロダクション代表にして、名著「ボンクラ映画魂」「仁義なき戦い 浪漫アルバム」「東映ピンキーバイオレンス浪漫アルバム」などを上梓した、東映魂の伝道者。このトークセッションの聞き手として、これ以上の人選は望めまい。

瀬戸恒雄
『大激闘』プロデューサー。東映で数多くの不良性感度爆発映画を製作。

_____

上記のゲストに、当時出演されていた片桐竜次氏も当日飛び入りされて、少年時代よりブラウン管の向こう側で目撃し続けていた1ファンとしては驚喜しました。

まさに私はリアルタイムで日テレ火曜9時枠にて前番組の『探偵物語』から『大激闘マッドポリス'80』にバトンタッチする瞬間を目撃していましたが、その時の色んな意味での「衝撃」は今でもハッキリと覚えています。それはこの日「視聴者代表」としてトークセッションに参加されていた杉作J太郎氏が仰られたように「こういう番組を待っていた」というような開放感と気持の高揚をその時確実に感じてました。

製作者側の皆さんは「悪評紛々だった」と仰られてましたが、当時の小僧の感覚としては全然OKと言いますか、それまでに『大都会シリーズ』やコミックの『ワイルド7』などで「合法的に悪を懲らしめる」「暴力には暴力」というアプローチに免疫が出来ていたのでスンナリと受け入れられていたと思います(それ以前に、その頃通っていた中学が構内暴力の嵐という「常在戦場」という状況で、日常的に暴力に馴れっこになっていたとう状況があるかも知れません)。やはり声の大きいその頃の大人たちの脊髄反射的な意見だけを伝えていたのでは、受け手側の真意は伝播しなかったのだなと痛感した次第です。

トークセッション終了後、宴会にて出場者の皆様とお話させて頂き、やはり男は「やるべき時」に全精力を注ぎ込んで「やるべき事」をやってナンボだという感想を持ちました。そうすれば、何時か何処かで誰かが評価してくれる、という希望を(熱狂的なファンの方々とはまた違った感想かも知れませんが)同じモノ作りする人間の端くれとして実感しました。

主催の「活檄プロダクション」の皆様、お疲れさまでした。
次回のイベントも期待しております!

_____

20数年来、その活動を通じて多くの勇気を頂いてきた杉作J太郎氏にご挨拶。新刊購入して以来大事に所有していた著作の『ボンクラ映画魂』にサインをして頂く。まるで「ダルマの目玉」を入れるかの如く、購入から14年の年月を経てようやく署名本と相成った次第。杉作さん、ありがとうございました。

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Telecaster・Judah風味

今年の年頭に渋谷でCat Powerの来日公演を観た。

その時期は某バンドのアルバムジャケット及びPV制作で忙殺されていた直後だった為に、とてもブログの方へ感想が書ける精神状態ではなかったのだが、非常に素晴らしいステージだった。
特にバックバンドの「Dirty Delta Blues」の演奏は最高にクールで、何よりCat Powerの存在を最初に知ったキッカケがギタリストであるJudah Bauer(ジュダ・バウアー)が参加しているということだった。

ご存知の通り、ジュダはNYのアンダーグラウンドシーンに於けるパンクブルースの雄The Jon Spencer Blues Explosionのギタリストとして90年代中盤頃からずっと注目していた。

正直、万人に訴え掛けるようなわかり易い派手さや強烈な自己主張はないけれど、ルーツミュージックに対する真摯さや畏敬の念が感じられるシンプルでツボを抑えたプレイには個人的に親近感のようなものを感じていた(実際、彼のフェイヴァリットであるキース・リチャーズ、スティーヴ・クロッパー、ロビー・ロバートソンらは、ギターに関する私の心の師匠でもある)。また、一貫してテレキャスターを愛用しているというセンスと頑固さも重要なポイントであった。

そんな彼が、近年愛用しているのが、ヘッドのロゴから推測するに66~67年辺りの、ラウンド貼りのローズ指板+サンバーストボディ(「カスタム」のようなバインディング無しで多分、材はアルダー)のテレキャスターである。こいつが生のステージで観た時、JSBXの時のブルースをベースにしたアグレッシヴなプレイとはまた違った、実に通好みな抑制の利いたサウンドを奏でていたのだ。まさに燻し銀。あと、何よりそのルックスが印象的だった。




おそらくキースの有名な5弦オープンG仕様のサンバーストテレ(67年頃の貼りメイプル指板)をモチーフにしたかのようなブラック1プライのピックガードに交換してあることがまず目を引く。あとは細かなパーツの変更が施してある(これは後述します)。

これらはすべてNYの工房Imai Guitarsでカスタマイズされたものとの事。肖像権の問題でこちらにジュダのギターの写真は無断で転載出来ないので、イマイ氏のブログ記事をリンクしておきますのでご覧あれ。
"Judah Bauer and Cat Power"

で、そのジュダのテレと極めてオリジナルスペックが近いCSの63テレキャスターNOSを先日入手したので、早速同じようにカスタマイズ(というか、単なるパーツ交換だが)してみようと思った次第。おそらく「ジュダ・バウアー・モデル」を再現しているのなんて世界広しと言えど私ぐらいではないかな?比較的マイナーなプレイヤーだし(ジュダ、ゴメンよ...)。

取り敢えず、目に見える範囲で交換するパーツとしては、

・ピックガード / ホワイト3P→ブラック1P
・ブリッジサドル / スチール製スパイラル→ブラス製
・セレクターノブ / 60s型ブラック→50s型ホワイト

簡単に言ってしまうと、すべて50年代初頭の仕様のパーツに変更するということだ。
以下、オリジナル状態&カスタマイズ後の写真。

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徹底的に再現出来なかった部分は、ヘッドのロゴ(63NOSは1世代古いスパゲッティロゴ)とピックガードのピスが8点止めでなく5点止めだという点(この辺、あからさまに「ドンズバ」にしたくないという私の天の邪鬼な性質故かも知れない)。
あと足りないはボディのキズや劣化具合だが(ジュダの物はヴィンテージだから当然だけれど)これは使い込みながら経年変化でヤレて味が出てくることをこれから先楽しんでいきたいと思っている。所謂「余地」を残した格好だ。

嗚呼~、コイツを使う為に久々にバンドやりたくなった。
Chanみたいにスタイリッシュでオリジナリティ溢れてて、かつ先達への畏敬の念を忘れないような女性ヴォーカリスト、居ないかな?

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泰山 / TAIZAN

Author:泰山 / TAIZAN
I'm a man.
I'm just an average guy.

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