硬派の宿命・野望篇

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仕事場

午前中に東京から発送した荷物が届く。
義父の図らいで、家人の実家の一室を貸して貰うことになり、早速送られてきた愛用のMacをセッティングする。これでようやく仕事場が確保された。

私たちフリーランサーは常に回遊魚の如く自分の食い扶持を確保し続けていかなければならない。生活の保障がないのだ。そうなると仕事場の有無は死活問題となる。

先々週、家族を連れて宮崎に一時滞在した際、PC環境を丸々東京に置いて来たので丸々一週間まったく作業をすることが出来なかった。これは完全に自分の未熟さ・居たらなさであるが、紙と鉛筆と消しゴムだけでは現在の私は羽根をもがれた蝶のように何もすることが叶わないのが現実だった。

幸い、今は受注や打ち合わせをメールや電話で済ませ、オンラインで仕事のデータの納品が可能になっている。ある意味、環境さえ整っていれば地球上の何処ででも作業が可能なのだ。私は迷わず決断し、先週末に単身東京へ戻った。
...こうしてやっと今日から二本の足で立てるようになった。昨日のブログ記事冒頭の言葉も、ようやく私ごときが口にしてもいいと思える状態になった。自立すら出来ない人間をが他者を支えることなど不可能だと私は思っている。

これから、私にやれること、やるべきことを、新しい環境で続けていきます。

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ゼロから...

改めまして、東日本大震災の被害で亡くなられた方々のご冥福を、そして現在被災地で不自由な生活を余儀なくされている皆様へのお見舞いと一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。



ミネアポリスの友人から長い手紙が届いた
バレンタインの頃には海を越えて行くんだと
それでゼロから それでゼロからやり直すんだって
だからゼロから 俺もゼロからやり直すんだ...

(マンボのボーイフレンド / 麗蘭)

まずは一刻も早く自分の足下を固めなければ、
遠くの空の下に居る方々へ想いを届けられるだけの状態にならなくては。

喪失

滞在四日目。

午前中にレンタルしていたベビー用品(ベッド、風呂、体重計等)を業者に返却。何時になるかはわからないが、戻って来る頃には必要の無くなっているものばかりだ。

PCや生活必需品の梱包を済ませ、宮崎への土産に阿佐ヶ谷「うさぎや」のどら焼きとうさぎ饅頭を買いに行く。

がらんと物が無くなった居間は殺風景だが、なまじ家族が生活した痕跡が残っていない方がむしろ清々しい。
恥ずかしい放しだが単身帰宅した時に、娘が寝ていた頃の状態のまま無造作に布団の敷かれたベビーベッドを見て強烈な喪失感を覚え暫し落ち込んだ。

家族が思い描いていたありふれた日常やささやかな未来図がすでに叶わなくなってしまったという現実。そんな名もない人々が、直接の被災者でなくとも多く存在しているのだろう。
たとえ小さな幸せでも、それを失った痛手は決して小さくはない。「喪失する」ということに強弱も優劣も貴賤もないと私は思っている。

明日以降の更新は宮崎からになります。

梱包

滞在三日目。

梱包。ひたすら梱包。
最適な形状にカットしたダンボールをガムテープで繋ぎ合わせながら、大学時代にダンボールで椅子を作るという課題や、職場で書類を梱包・発送していた作業がフラッシュバックする。

昼過ぎに両親と会う。
今日は父方の祖母の墓参りだったのだが、多忙を理由に欠席。
ばあさん、済みません。来年はきっと行きます。

先の娘の宮参りの時に神社で撮影した写真を渡す。親父は最近、娘の写真を見ると顔が蕩けてしまうという面白い動物と化したようだ。

一旦自宅に戻り、梱包作業の続き。
夜は友人の「リアル・ハカイダー」氏と会食...といっても場末のファミレスでだが。
ネット情報などに頼らない、足と目とリアルな調査網を駆使して自分の頭で考える真っ当な男とサシで会話することによって、阿呆のような現実や、様々な場に於いて有象無象の吐き出す無責任な雑言に辟易していた心が洗われたような気分になる。
Iさん、次回帰省時にもまた会いましょう。

帰宅後、再び梱包作業。明日の昼までには終わらせなければ。

ダンボール

滞在二日目。

昼から買い出し。
一歩外に出ると、都内に飛散している花粉の量は凄まじい。鼻の粘膜が痛くなる。
PCを発送する際の梱包材を調達しにスーパーへ。ところがダンボールはスッカラカン。
仕方がないのでプチプチだけ購入して一旦帰宅。
途中、写真屋へ立ち寄り、実家の両親へ渡す娘の写真をプリントして貰う。

所有している27インチのiMacは巨大な為、なかなか梱包出来るサイズのダンボールがない。
そこで、以前世話になっていた土建会社に通っている友人に連絡したところ、社内に大き目のダンボールがありそうとのことで夜半にお邪魔し頂いてきた。これで工夫すればどうにか梱包出来そうである。

M君、K君、ありがとう。
お礼に地鶏送るので、楽しみにしていて下さい。

近況

今、独りで東京に戻ってます。

twitterやmixi(ここで"Facebook"とならない所が実に日本的)ではお知らせしましたが、先週末から家族で家人の郷里の宮崎へ行ってました。理由はお察し下さいませ。

今後暫くは向こうに滞在することになりますが、制作は通常通り行える環境です。
関係各位の皆様、引き続き宜しくお願い致します。

「ギター・マガジン」2011年4月号

3月12日(土)発売の「ギター・マガジン」(リットーミュージック)2011年4月号の「ゲイリー・ムーア追悼特集」にて、先日逝去したゲイリー・ムーアの肖像を描かせて頂きました。

http://www.rittor-music.co.jp/hp/gm/

今は亡き名ギタリストに哀悼の念を込めて。R.I.P.


Guitar magazine (ギター・マガジン) 2011年 04月号 [雑誌]Guitar magazine (ギター・マガジン) 2011年 04月号 [雑誌]
(2011/03/12)
ギター・マガジン編集部

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トレンチコート

雛祭りの前日に叔父が亡くなった。
まだ60代という若さ故にショックが大きかった。

叔父は私の母の末妹の旦那さんで、母方の親戚の中では最も若い叔父だった。
小さい頃から明治男の祖父を筆頭に、戦中派の父親世代の大人たちにばかりに囲まれて育って来た私にとって、比較的自分に年齢の近い若々しい感覚を持った叔父の存在がとても嬉しかった。
親父たちの世代が教えてくれないような文化...小説や漫画を「タイちゃん、これ読んでごらんよ」と勧めてくれた。そんなことから、血は繋がってはいないけれど、まるで年の離れた兄貴のように思っていた。

叔父と初めて対面した時のことを今でも憶えている。
小学校に上がったばかりの頃。母と叔母と一緒に、確か東京駅の地下街だったと思うが、三人で待ち合わせの場所で立っていたことを記憶している。

暫くすると遠方からスラリとした細身で瀟洒な男性がこちらに向かってきた。長い鬢をたくわえベージュのトレンチコートを着たその男性が叔母に向かって微笑み掛けた。そして母と私に挨拶する。

それが叔父との初対面だった。その後、四人で何を話したかは覚えていない。
二人と別れた後、母が私に向かって言った。

「あの人、お姉ちゃん(叔母のこと)の旦那さんになるのよっ!」

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葬儀の最後に、長男(私の従兄弟)が遺族を代表して挨拶をした。
その内容は、父親は病の床に在っても布団に寝たきりの生活をせぬよう、昼間はきちんと洋服に着替え好きな読書に没頭するという実にスタイリッシュな叔父らしい折り目正しい「流儀」を貫いた最期の生活の様子を弔問客に伝えていた。

出棺直前に棺の中へ献花する際、叔父の足の上にカバーが外れた一冊の古びた文庫本が置いてあった。
叔父が大好きだった山口瞳の『江分利満氏の優雅な生活』。これは遺族が叔父の「流儀」に応えた形であろう。

私はこの日、ブラックスーツの上にトレンチコートを羽織って葬儀に赴いた。しかし色はベージュではなくダークグレー。
これが私の「流儀」である。


お宮参りと初節句

本日は娘のお宮参り。
通例だと生後1ヶ月頃に執り行うらしいのだが、寒い時期故に家人と娘の体調等を考慮して、丁度大安である雛祭りの日に祈祷して貰うことにした。
郷里の宮崎から義母も駆けつけて、私の両親と共に近くの神社へ。

ご祈祷の後、神社内にある写真屋さんで記念撮影。
こんなにちゃんとした写真スタジオで撮影して貰うのは自分史の中では初めての経験かも知れない。

その後、我が家にて昼食。
終始、爺婆に引っ張りだこの娘であった。

R0010800.jpg

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Author:泰山 / TAIZAN
I'm a man.
I'm just an average guy.

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