硬派の宿命・野望篇

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各々の生活の中で

こちらに生活を移してからすでに1ヶ月が過ぎた。
南国宮崎は春を通り越して、もう初夏のような気候になっている。

娘の体格は一回り大きくなり、表情も豊かになり、これまで泣き声以外に発するのは単発的な嬌声だったのだが、それが長いセンテンスを持った言葉のように聞こえるようになってきた。

ちょっと前に東京の両親が娘の生誕百日の「お食い初め」に合わせて一泊でこちらへやって来た。初節句の祝い以来1ヶ月以上振りに成長した孫の顔が見られてさぞ嬉しかったことだろう。もし地震がなければ、会いたい時にいつでも会うことが出来ていた筈なのだが、この点は気の毒でもある。

それにしても戦中派の両親は強い。毎日のように余震で揺れ続けている都内の実家での生活や原発事故の放射能漏れに対する恐怖を間違いなく感じているだろうが、私たちの前では決してその件は口に出さない。むしろこちらが心配して水を向けると、「俺たちは大丈夫だから、とにかくお前はコイツを良い環境で育てることに専念しろ」とだけ言う。

この世代の人たちの特徴として、戦中戦後の混迷期に於ける精神的重圧や物資不足の反動からの快楽追求への旺盛さには呆れ果てるほど軌道を逸したものがあるけれど、逆に死をも恐れぬ居直りと虚無感を常に傍らに横たえていることも事実だ。決して多くは語らないが、子供の頃にすでに一度は死を覚悟していた者はやはり肝の据わり方が違う。これは少年時代から「この人たちには絶対に敵わない」と、親に対してずっと感じていた畏怖心でもある。

二人が、今回東北で被災した親戚たちの安否について積極的に状況を知りたがっていた私に対し、常にドライであっ気らかんとした対応を貫き続けたのも、そんな彼らの資質に基づいたものだろう。
こういう態度を冷酷と思う人も居るだろうが、私は仕方がないことだと思っている。人の死生観、ましてや老い先短い者たちのそれに、余人がとやかく言える筋合いなどないのだから。

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およそ20年振りにレギュラーのLevi's 501を買った。
並行輸入物を通販で注文したのだが、現在は米国産の501は生産終了とのことで、タグを見たらハイチ産だった。しかしこれが正統な「レギュラー」の501である。新品で5000円。安い。

90年代初頭頃から関西の小さなメーカーが細々と研究を重ね製造・販売を始めた古き良き時代のデニムを再現した所謂「レプリカジーンズ」がポピュラーになってからというもの、それまで古着屋で血眼になって探していた数万、数十万もする高価で希少なヴィンテージを買わずとも、2万円ほどで良い風合いになる高品質なジーンズが新品状態で手軽に入手出来るようになった。
私もここ10数年はその手の贅沢品を買って履いていたのだが、最近はそんな「気負い」が面倒になってきた。

そこで原点に帰って、高校生の時に親から小遣いを貰って池袋のデパートで初めて買ったLevi's...501だったか505だったかは忘れたが、どこででも簡単に手に入るごくスタンダードなジーンズを履き潰していきたい、余計な付加価値など最早必要がない、と思えてきた。

糊付けされてパリパリになった板のようなリジッド(未洗い)のデニムを裏返して洗濯機に放り込む。ピーカンの陽光の下、娘のオムツや衣類と一緒に物干で乾かすと、生地がギュッと縮んで自分の身体にピッタリのサイズになる。これが501の特長である伝統の「シュリンク・トゥ・フィット」だ。

これから新しい生活を続けていく上で、この501を日々履いていこうと思っている。毎日の生活の轍が、段々とこのジーンズに刻み込まれていくことだろう。

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断面

なにがしかと日々闘っている人間は、いちいち「俺は日々闘っている」なんて他人に触れ回る暇や余裕など無い筈だ。

...なんて思いながらも、やはり水面下での動きを外に伝えたいという気持は確かにあると思う。自分の「現在地」を知らせたい。
リアクションが返って来ることで更にモチベーションも上がる。結果、それが作品にフィードバックされることとなる。これが循環だ。

先日、Facebookで最新作(発表は未定)の一部を加工して「チラリ」とUPしたところ、近くは親戚の叔父から、遠くは未だ見ぬ海外の友人たちから反応があった。「お~、久々だねえ」という塩梅に。

正直、救われた。
この一年間、作品を描き貯めるばかりで、仕事以外の作品は一切人目に触れないようにして来たからだ。1mm足りとも外に漏らさなかった。
見る人から見れば、この一年、私は何もやっていなかったことになる。そんな私に今も期待してくれる方々が少なからず居るという事実。

私はこの仕事を、絶対に棄ててはいけないと確信した。

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仕事場移転後も続々オファー頂いてます。
乞うご期待下さい。

『華の乱』から得るもの

先日、或るお友達とのメール書簡で有島武郎の『小さき者へ』の話題が出た。

当方、恥ずかしながら本作はこれまで未読であった為、早速「青空文庫」にて電子書籍を入手。年代的に著作権がすでに失効した作品なので無料であった。布団に入りiPadのディスプレイに目を走らせる。

有島が、自身と亡き妻の思いを、残された三人の子供たちへ切々と伝える私信のような短編(エッセイと言って良いのだろうか)。今の私にとっては、有島の親としての深い情愛をとても身近に感じ取ることが出来、じんわりとその内容が心に染み込んできた。

その後、また別の友人との電話での会話で『小さき者へ』を読んだという話をした。映画に詳しい彼は私にこう言った。

「有島武郎ですか。今のこのタイミングならば『華の乱』をご覧になるのもいいのでは?」

実は『華の乱』は公開当初(88年)、あまり良いイメージがなかった。
その理由は有島役の松田優作に違和感があったからだ。

これは何も、有島と優作とではあまりにイメージがかけ離れている...なんて高レベルな次元の話ではなく、単に餓鬼の頃から馴染んでいたアクションスターとしての「我らが兄貴」である優作が『陽炎座』以降にシフトした文芸路線にあまり良い印象を持っていなかった...という極めて身勝手で幼稚な無い物ねだりからの反発でもあった。

故に、優作が亡くなった直後に衛星放送で追悼という形で放映された時を最後に、本作を改めて観てみようという気がまったく起こらなかった。それからおよそ20年。

本作のおおまかな流れとして、主人公である吉永小百合演ずる与謝野晶子と、緒形拳演ずる夫・寛(鉄幹)を中心に、明治・大正期を華麗に生きた作家や文化人たちの愛憎とその末路を群像劇として描いている。

中でも重要な役所は、晶子に亡き妻の面影を重ね合わせ淡い恋心を寄せる有島武郎。何不自由の無い家柄に生まれながらも、自身の経営する農場で働く貧しい農民たちに共感するものの、しかし実際問題として自分は社会構造的に何も解決することが出来ないというアンビバレンツな苛立を背負い込んで悶々としている悩めるヤモメ文人を、当時30代後半の優作が白髪混じりの老け役(それでも『アラビアのロレンス』ばりにバイクを操ってアクションシーンを魅せるところなんて深作欣二監督の出血大サービス?)で演じている。

常に生と死の境界線上で揺れ動いている有島だが、晶子との出会いでその気持が「生」に傾くことになる。有島にとって晶子は希望だった。同時に、有島に惹かれる晶子。しかし彼が最終的に選んだ道は息子たちを残して愛人と心中自殺を遂げることであった。

今改めて観ると、優作は晩年にこんな境地に辿り着いていたのかと、ようやくオールドファンとしてそのことを受け入れられる自分に気付く(それでも成田三樹夫との絡みはつい工藤ちゃんと服部さんの絡みを思い出してしまったが...これは仕方ない)。そして思いの丈を込めて子供たちに『小さき者へ』を書き下ろした父親としての有島の、極めて作家的な末路に「男」という生き物の宿業を見た気になった。

人間、親になったぐらいでそう根本的に変わるようなモンじゃないのよね...ということだ。しかし、だからこそ自分にとって『小さき者へ』の言葉のひとつひとつが余計に胸に突き刺さる。これは間違いなくリアルな一人の小さき人間の肉声だ、という意味で。

ラスト、与謝野一家を関東大震災が襲う。家々は倒壊し、街のあちらこちらからは業火が立ち上る。辺り一面死体の山。10数人の子供たちと書生と共に瓦礫の山を前に立ち尽くす与謝野夫妻。行き交う人々は口々に根拠なきデマを吹聴し続ける。

そこへ、憲兵に連行された社会主義者の二人の男が通過してゆく。殺害された大杉栄を通じて彼らと顔見知りだった晶子は馬に引かれている二人に駆け寄り握り飯を手渡し「生きていて下さい!生きて!」と懇願する。

その姿を眼前にし、総選挙で落選した後、作家としても長らくスランプで放埒な日々を過ごしていた寛が、晶子を抱きしめながら呟く。そう、まるで『虹の谷の五月』で、物語の大半に於いて酒浸りだったラモン・スムロンが、最後の最後に目醒めたように。

「船が沈んでも、国が滅んでも、私たちは生き続けなければね」

そして子供たちを先導しながら高らかに宣言する。

「さあ、家を立て直すぞ!みんな手伝え!」



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役割

南国の陽光を浴びて、ここ数ヶ月の間に蓄積された疲労も大分回復してきた模様。私は元気です。

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昼間はもう初夏のような晴天と強い日差し。

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およそ五年振りに市街地へ。
海の近くに巨大なモール街が出現したことで寂れていた繁華街。より一層閑古鳥の鳴いた状態に。今は何処の地方都市も同じ様な状況か。

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そのモール街の中にある「風来軒」のラーメン。
宮崎ラーメンは他の九州ラーメンと同じくとんこつスープではあるが、かなり濃厚。麺も博多風の細くて白いストレートではなく、太くて黄色く縮れたものがポピュラー。こってり好きにはたまらない。

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他人に迷惑掛けないなら「てげてげ」(宮崎・鹿児島弁で「そこそこ、適当に」という意)でもいいではないか。何せしょっ中火山灰が降って来るのだ。そういう思考でなければやってられないお国柄。

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殺伐としたネットのルツボから離脱して、ちょっとこちらで一服して行って下さい。私がここで出来る役目ってそんなことか...なんて思っている。

誰もが現状に苛立ち無力感に包まれているけれど、我々「銃後」の人間が必要以上に狼狽えていてはいけない(無関心過ぎるのも問題だが、そんな能天気な馬鹿は今時居ないと信じている)。
夫々のやるべきことは何れ時間の経過が明確にしてくれることでしょう。その時が来るまで、各人がひたすら己を磨いておこうではないか。

子育てと近況

段々とこちらの生活にも慣れてきました。

近況としまして、家人の実家の一室を間借りし、現在は其処を仕事場としてます。
まるで要塞と化していた自宅の仕事場と違い、日当りのよい畳敷きの部屋。そこで毎日PCの前で正座して、東京と何ら変わらない環境・ペースで作業を進めています。

昨日は義妹と共に一家でフェニックス自然動物園の辺りへ桜を見に行きました。思えば昨年も大分でircleのワンマンを観た翌日に福岡へ出て友人と花見をしたのだった...二年連続、九州で満開の桜を眺めたことになりました。

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娘の成長は目を見張るもので、この三週間ほどの間でも以前と比べて表情も豊かになり、時折あげる嬌声も言葉のような抑揚が感じ取れるようになりました。首が据わって身体の中心が意識出来るようになったのか手足の動きにもバネと力強さが増した気がします。そろそろ体重も出生時の倍近くになるでしょう。

そんな娘の活き活きとした姿を見ているからか、家人に母親としての柔和な包容力が増してきた気がします。これは只でさえ初めての子育てで慣れない日々を過ごしている上に、現在の都内での不安な環境(取り越し苦労かも知れませんが)に身を置いているという緊張感から解放されたからだと思ってます。それだけでも、今回の私の判断は間違ってなかったと確信している次第です。

毎晩三人で「川」の字になって寝る時、隣で眠る小さな母子の姿を眺める度にどうしても今度の震災で被害に遭われ、今現在避難所で生活されている小さいお子さんやお母さんたちのことを考えてしまい胸が締め付けられる思いです。
特に乳児を抱えた母親の精神的・肉体的な疲労は平常の生活に於いても我々男性には理解不能なほど過酷なことはこの三ヶ月間一緒に暮らしていて私自身も痛感しました。そして更に不便な環境での子育てを余儀なくされている方々がいらっしゃるという現実。

現在、ネット情報も錯綜している状態で、遠く離れた土地に居る人間としては具体的に何をなすべきかが正確に、正常に判断出来ないのが現状です。今後も微力ながら目に付いた確かな情報を拾い、私の判断で提示させて頂ければと考えています。

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