硬派の宿命・野望篇

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私的創作黎明記 #2

<前回からの続き>

まずは手始めに台湾とフィリピンについて調べてみた。
家にあった百科事典を紐解き、当日休暇で在宅中だった父親にも色々と尋ねた。そして国の成り立ち、風土、そこに住む人々の人種や民族などを大雑把に把握した。

ストーリーの細かいところは古い話なので忘却してしまった部分も多いが、大まかにはこんな感じだった。

「誰も知らない小さな国」からおよそ20年後の話。
小学生だった「せいたかさん」もすでに30代で、彼は職務として人間とコロボックルの共存可能な社会を構築すべく尽力している。
山の民であったコロボックルたちの中でも、進んで都市部に移住してきた者たちがいた。彼らは身体が小さい故に一般の人間たちよりも人生のサイクルが短いので世代交代が早く進む。更に人間の文明を受け入れたおかげで人工が爆発的に増えて次第に都市へと流出せざるを得なかったのだ。

そんなある日、街に住むひとりの好奇心旺盛なコロボックルの少年が、南へ向かう渡り鳥の大群に攫われてしまう(凧揚げしてて糸が鳥に絡まった...とかそんな理由だったと思うが、ちょっと詳細は失念してしまった)。
彼はどうにか鳥の背中にしがみついて海を渡ってゆくが、途中で振り落とされてしまう。そこはフィリピンの小島だった(無論、彼は認識していない)。
熱帯地方のうだるような暑さのジャングルで、彼は途方に暮れながらも自給自足の生活を始める。熱帯植物の葉で住居を作ったり、川で魚を釣ったり、山でバナナを採ってきて食料とした...

...話を中断するが、この熱帯の島でのサバイバル・シーンは数年前に何かの雑誌で読んだ、南方の島々から帰還した元日本兵の横井さんや小野田さんの手記に書かれていた記述を参考に構築したのだと思う...おそらく。
とにかく、当時の小学校四年生が持っていたありったけの知識をそこにブチ込んでいったのだ。

その頃日本では「せいたかさん」が少年の不在を知り、彼の捜索を開始していた。実はコロボックルの少年はコインのような物(これも具体的に何だったかは失念)を大量に収集して袋に詰めて携帯していて、鳥に乗って飛行している間にそれらが偶然にもぽとりぽとりと落ちてしまい、一定間隔で海上に浮かんでいたのだ(実に子供の発想らしい都合の良さ!)。
それに気付いた「せいたかさん」はポンポン船をチャーターして海にぷかぷかと浮かぶその「コインのような物」を追って一路南洋を目指す。

結局彼らはフィリピンの孤島で再会するのだが、何故か「せいたかさん」はそのまま真っ直ぐに帰らず「思うところあって」コロボックルの少年と一緒に小船を作り、フィリピン→台湾→沖縄と次々に小さな島々に寄港しながらそれぞれの土地の風土を体感してゆく旅を始める。出会う人々もまるでグラデーションのように段々と日本人に近づいてゆくのだった。

最後はあっさり日本に到着して目出たし目出たしで終わるのだが、当時小学校四年生だった私は原稿用紙30枚に及ぶこのストーリーを一日で書き上げた。
T先生から配布された原稿用紙はたった5枚しかなかったので、仕方なく母親に近所の文房具屋で買ってきて貰った。後に母はその日の私の姿を「まるで何かが取り憑いたように黙々と机に向かっていて気味が悪かった」と回想した。

今思い出せばいかにも子供らしいいい加減な思い付きの強引なストーリー展開ではあるが、それでもたった一日で原稿用紙30枚に書き切ってしまった集中力は驚愕に値する。そして何より驚くべくは、その着眼点だ。

私が、我々の祖先が黒潮に乗って南洋から辿り着いたのではないかという日本人の南方起原説を知るのは遥か後のことだった。
まるで日本史を再現するように、その黒潮の流れを日本の先住民族であったかも知れないコロボックルと共に小舟に乗って旅をする...自分のことながら、偶然にせよ大胆ながらも的を得た発想だったなと感心する。
更には「国境線」など関係なく縦横無尽に世界を駆ける男たちの「冒険譚」、そしてコロボックルの少年がサバイバル生活を通して未知の世界と出会うことによって成長してゆく「教養小説」としてのエッセンスも含んでいたように思う。これらは実に現在の私好みのストーリーでもある。

いやはや、子供の無自覚な意識というものは時として恐ろしく鋭い時がある。或は「三つ子の魂百まで」なのだろうか。

夏休み明け、結局続編を書いてきたのは私を含めて4人だった。無論、そんな大作を書いてきたのは私ひとりだった。
T先生は絶賛してくれた。正直ここまでやるとは思わなかったと驚いていた。

そして2学期の終わりの全校集会に於けるクラスごとの出し物で、この私の書いたストーリーを元に巨大な紙芝居を作り発表しようというT先生からの提案があった。

こうなってしまったら、すべてを仕切りたくなった。当時から絵が得意だと自他ともに認めていた自分自らが作画監督も務めさせて貰った。これは「コロボックル物語」シリーズの挿絵を担当されていた村上勉氏の印象的な画風をしっかりと踏襲して、縦横数メートルはある大きな模造紙の上に描いていった。着色は細かい指示を出して「塗り係」のクラスメートにやって貰う。

課題を提出した他の3人のうち、私が最も親しくしていたFが「人間とコロボックルが理想的に共生すべき未来の社会像」について具体案を提示してきたので、そのことをわかりやすく示す冒頭のシーンで彼のアイディアをビジュアル的に反映させた。

途中、ストーリーの細かい矛盾点や設定の甘さを突っ込んでくる「自称お利口さん」のクラスメートも何人か居たが、そんな些末な意見には一切耳を貸さなかった。

「いったん俺の頭から外に出ちまったら、あとは知ったこっちゃねえよ。それより今やらなきゃいけないのは紙芝居を完成させることだろう?」

この辺の「次いこうぜ、次」という感覚は、今も昔もまったく変わっていないと思っている。

四年生の三学期の終了をもって、T先生は他校に赴任された。
暫くして先生から、彼女が所属する児童文学の研究会に是非この作品を提出したいので、自分の指定通りに書き直して貰いたい、との連絡があり、赤文字で沢山の訂正が入った原稿と真っさらな原稿用紙50枚が我が家に送られてきた。
だが私はその指示に従わず、清書した原稿を先生に送り返すことはなかった。

<了>

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