硬派の宿命・野望篇

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列車はゆく、俺の骨を載せて

まさに「多羅尾伴内 vs 明智小五郎」。さすがの天知茂も御大の前ではひよっこに見えてしまう。
ラストシーンで煙草に火を着けたあとのギラついた上目遣いなんてたまらない。
はたしてこんな目ができる役者が今現在いるだろうか? いねぇだろうな~。



では千恵蔵先生の強烈な最期を、山田風太郎の『人間臨終図鑑』より抜粋。
豪放磊落かつ、寂寥感あふれる人生の終着駅。

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 戦前戦後の時代劇の「御大」の一人、片岡千恵蔵は、昭和五十七年九月九日、やはり生き残りの御大の一人市川右太衛門と二人で、NHK「この人」に出演した。二人で「侍ニッポン」をデュエットしてみせたりしたが、闊達な右太衛門にくらべて、若い日「明朗時代劇」で売った千恵蔵はどこか憂愁の翳が感じられた。
 実はその七月に「肺ガン」の診断を受けていたのである。むろん彼には知らされていなかったが、八月から入院中の身であったのだ。
 このテレビ出演のあとも入退院をくりかえし、慈恵会医大病院から離れられなくなり、翌五十八年に入ると口もきけず、ただ紙にみみずのような文字で「南無妙法蓮華経」など書くようになった。

 ところが二月十三日になって、突然しっかりした声で法華経を唱えはじめ、「バカ騒ぎしなけりゃ棺桶にはいれねぇ、これから伊東へつれてゆけ」といい出した。伊東とは東映の某知人の家という意味であった。そこへ車で運ばれた千恵蔵は、憑かれたように八時間にわたって自分の人生を語ったが、そのあと二十時間も昏睡状態におちた。
 そして三月三十一日午前十一時十一分に死んだ。肺ガンで入院したのだが、直接の死因は腎不全であった。

 一代ほとんどスターで過ごした千恵蔵は京都の七千坪の本邸をはじめ多くの別邸や店舗その他財を残したが、最後の二十余年は妻のいる本邸にはよりつかず、名古屋で愛人と暮し、彼の最期をみとったのもこの愛人であった。しかし彼女には遺骨の一片も与えられなかった。遺骨は名古屋を石のごとく無視して通過し京都へ送られていった。


人間臨終図巻〈3〉人間臨終図巻〈3〉
(1996/12)
山田 風太郎



■ コメント

貴兄は私か

こんばんは。
嬉しい驚きです。私の本棚にも山田風太郎の『人間臨終図鑑』が並んでいます。誰もが自分の年齢のページを開いてしまうと言いますね。

演技とは何なのか? 私にも、ただ感情を込めて台詞を言うだけではないということはわかります。最近観た映画の「WALL.E」は全編フルCGの作品ですが、キャラクターの愛らしい“演技”に引き込まれ、とても感動しました。

Re: 貴兄は私か

lunaleclipseさん>

昨夜久々に第一巻の冒頭から順に再読しましたが、やはり若くして亡くなっている
人たちの最期はどうにもやり切れないですね。たとえそれが宿命だったとしても。

いい役者とは演技の上手い下手を越えた「存在感」を持っているかどうかが
私にとっては重要ですね。その人がこれまでに演じてきた様々な人間たちの宿業を
すべて背負い込んで、それが背中にぺったりと張り付いているのが見えるような。
受け手側に、過去の自分の残像を常に頭の中に想起させているというのは、これは
名レスラーにもあてはまる一種の「才能」ではないかと思ってます。

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