硬派の宿命・野望篇

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empathy

「復興の精神」(新潮新書)読了。
本記事のタイトル通りの心境になった箇所を抜粋。

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「あの日、家ではお茶の稽古をつけていた家内は、それをすぐに中止しました。しかし、私自身はその日もそれ以降も特別なことはしていません。
周りがうるさくなってくると静かにする。ブレーキをかける。そういう習性が身についているのです。それは今に始まったことではありません。
戦争で懲りているのです。ああいうときは『こうしろ』『ああしろ』『言ってはいけない』『やってはいけない』という奴が必ず出てくる。大学紛争のときもそうでした。何か言うと、必ず『敵か味方か』というように決めつけられてしまう。
だから、こういう浮世の義理でお話しなくてはならない取材などを除いては、普段と同じように淡々と暮しています。」

(養老孟司「精神の復興需要が起きる」)


「『犠牲となられた方に哀悼の意を表します』『被災された方にお見舞い申し上げます』の決まり文句はもちろんだが、さらに最近の『我々はあなた方と共にある』『被災者の人たちに元気を与えたい』という類のステレオタイプな物言いにしても、その『善意』は疑わないとして、自分のいった言葉の意味を文字通りに考えたら、とても言えないだろう。
見ず知らずの死者を本気で哀悼できるのか。膨大な数の被災者を見舞うとはどういうことか。簡単には言えまい。
『共にある』『元気を与える』をそのとおりに思い込んで言っているなら、大人にしては純情に過ぎるか、誇大妄想というものだろう。
これら紋切り型の言葉は、何も言えない人間が、それでも何か言うことを迫られて、他にどうしようもなく使うとき、はじめて言うべき言葉として聞こえるのである。言えないという無力さの自覚があって、言うことが許されるのだ。
声を高くしてはならない。いや、声高な激励があったとして、その底に響く低い声がなければならない。それが『祈り』の声だと、私は思う。」

(南直哉「無力者の視線」)


「細かいことはさっぱり分からない私だが、見える限りの大雑把なことは分かる。大地震が起こり、津波がやって来て引いた後の映像を見て、『これは戦争の時の空爆の跡と同じじゃないか』とすぐに思った。東京の電車はすぐに動かなくなり、停電が言われ、福島には原発事故もある。寿司詰め列車に停電に放射能となったら、太平洋戦争終結後の日本とおんなじだ。
今更日本の総理大臣の悪口を言ってもしょうがないとは思うが、大震災後国民へ向けてのメッセージの中で、菅直人はこの大震災を『戦後に最大の危機』というような言い方をした。(中略)相変わらず『戦後』という枠組に縛られていることに、少しばかりあきれた。どう見ても今度の大震災は『戦争の後』だ。本州の三分の一の地域の太平洋岸が壊滅状態になっている。『本州の六分の一が壊滅的被害』というのは、とんでもないことだ。我々はもう一度『戦後の復興』ということを考えなければならない。そしてそれは、かつての『復興』に比べて、より困難なものになる可能性が十分にある。」


(橋本治「無用な不安はお捨てなさい」)

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ここから先、何を為すべきかを考え、どう振る舞うかは個々の判断。



復興の精神 (新潮新書 422)復興の精神 (新潮新書 422)
(2011/06/09)
養老 孟司、茂木健一郎 他

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