硬派の宿命・野望篇

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敗戦国の誉れ

先日、格安入手した再生産S3に装着するレンズを購入した。
折角のS3ということもあり、私がレンジファインダーを使用する際に最も好んでいる35mmの画角に拘った。当初は純正のニッコールF1.8辺りを候補にしていたのだが、たまたま店頭に出物があったのでオールド・コンタックスの戦後型ビオゴンに決めた次第。実は以前から使ってみたい1本だった。

L1010441.jpg

「Zeiss-Opton」名義のこのレンズは、第二次世界大戦終結後の東西に分断されたドイツのカール・ツァイス財団の西側に設立された「ツァイス・オプトン社」によって1951年より製造が開始された。
戦前は、後の東側に位置するイェーナにあった世界最先端の光学メーカーのカール・ツァイスだが、敗戦によりソ連の統治下に置かれる直前にアメリカ軍の手によって多くの優秀な技術者を西側へと移送させ(「欲しいものは絶対に手に入れる」という、実に彼の国らしい強引なやり方である)「ツァイス・オプトン社」として再建。以降も世界最高峰の光学機器の生産を存続することになる(後に「カール・ツァイス」に変更)。そして89年のベルリンの壁崩壊によって、国家と共に両社は再び統合された。

片や、日本のニコンも同じ大戦によって翻弄されたメーカーだった。
第一次世界大戦中に三菱の資本によって設立された「日本光學工業」は軍需メーカーとして躍進していたが、太平洋戦争の終結に伴い民生品の生産へとシフトせざるを得なかった。
当初はカメラ生産のノウハウもなかったそうで、ライカやツァイスという世界に名だたるメーカーの製品を参考にし、当時の技術者による研鑽の結果、海外のフォトジャーナリストたちにその品質や性能を認められ、日本の高度経済成長期を支えるほどの世界に名だたるカメラメーカーとなり現在に至る。

戦前・戦後のツァイスの「Contax」と当時のニコンの「Sマウント」は装着する分には互換性がある。厳密に言えばフランジバック(レンズのマウント面からフィルムまでの距離)の僅かな違いで長焦点は使用不可だが、広角~標準レンズはまずまず問題ないらしい。

ある意味、この組み合わせは邪道かも知れないが、自分はやってみたかったのだ。

敗戦によって運命を弄ばれた二つの国の二つの会社。戦後の激動の転換期に彼らが生み出したものが、今私の手の中でひとつになり、いつ何時でも撮影可能な状態で佇んでいる。

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