硬派の宿命・野望篇

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永遠のつがい

今朝のニュースで真っ先に目が付いたのがマイケル・ジャクソンの死亡記事であったことは、おそらく多くの皆さんも同様だったと思う。

そんな大物が逝去した同日、ひっそりとファラ・フォーセットが亡くなったという。
末期癌の闘病中で、長年連れ添ったライアン・オニールからようやく求婚されたなんて報道を数日前に伝え聞いてはいたが、あっという間に天に召されてしまった。

今の若い人はファラ・フォーセットという名前を聞いてもピンとこないであろうが、我々のような70年代末~80年代初頭に心もアソコも多感な中坊期を過ごした野郎どもにとって、それはそれは特別な存在だった。初代『チャーリーズ・エンジェル』の一人でもあったし、内外の男性総合誌の表紙やグラビアにも頻繁に登場していた。

最初に彼女が闘病中だという報を知り、まず思い浮かんだ顔は、一時期彼女の亭主だった『600万ドルの男』ことリー・メジャースであり、彼が哀しみに堪えながら深紅のジャージを着て空港のカタパルトの上を全力疾走している姿だった(無論スローモーションで)。
何せ私が彼女を初めて知った時の芸名は「ファラ・フォーセット・メジャース」であり、ダンナはあの『600万ドルの男』!という事実が今も頭の中に固定されている。現在の両者の関係はまったくわからないが、最早そこにはライアン・オニールの存在など微塵もないのである。

同様なことが、范文雀さんが亡くなられた時にもあった。
真っ先に頭を過ったのは「今、元亭主の寺尾聰は、この現実に何を思う?」だった。
倍賞美津子さんが癌で闘病していた事実を知った時も、猪木の心境を察するだけで辛い気分になった。それは決してショーケンではなかったのだ。

このように、現在は当人たちにしかわからない複雑な事情があって別離してしまった男女でも、周囲の人間から見れば華やかだった頃の二人のイメージが心の中に焼き付いて離れない。理想的な「永遠のつがい像」とでもいうか。これはタレント業の宿命だろう。
両者の事情はともかく、たとえ憎しみ合う関係になってしまっても、書類上では赤の他人になってしまっても、わずかでも心の中では通じ合っていて欲しい...なんて思ってしまう。

まあ、あくまで他人の甘く勝手な思い込みでしかないのだが。



どてらい男

小学生の頃の愛唱歌でした。ドラマの内容も素晴らしかった(特に軍隊時代のエピソード)。
立身出世する為にはこれだけの労苦を伴わなければならないのか、とても俺には無理だ、なんて思いながら観てましたね。チ◯毛も生えてない小僧が。



祖母が大阪出身、叔父(父の弟)が社会人になって以降ずっと大阪在住、自分も父の仕事の都合で2才から小学校に上がるまで市内に住んでいた故か、大阪弁にはまったく抵抗がありませんでした。現在でも関西出身の人と一緒に2日も過ごすと影響されて自然とあちらのイントネーションが移ってしまう程です。

それにしても当時の周囲の東京人たちの関西弁に対するアレルギーは凄まじいものがありました。何故そこまで抵抗感を感じるのだろうと不思議でしたが、むしろ関東地区に於いては私のような人間の方が稀だったのかも知れません。

今の30代半ば以降の方々は明石家さんまやダウンタウンの東京進出で違和感が殆どないみたいですが。むしろ近年は生粋の東京弁(標準語に非ず)の方がどんどん廃れていってるようで寂しい限りです。

復活☆私の好きな映画のシーン #1

戦争の無惨さそのものよりも、そこへ向かってゆく組織というものの狂気の構造に虫酸が走りました。
また、こいつが元々愛嬌のあるデブ(ビガロ似)だっただけに、その末路が不憫でならない。




<追記>
本題とは関係ないのだが、先日の冤罪事件に関する話(「檻の中」つながりか?)。
本稿を書き終えてフトンの中でようやく入手した村上翻訳の『ロング・グッドバイ』軽装版を読んでいたら、こんな文章があった。
殺人容疑で留置所にブチ込まれ、尚も突っ張り通すマーロウに対し、エンディコット弁護士が諭す場面。

「警察に向かって嘘をついたところで、法律に反したことにはならない。警察にしたって黙秘を通されるよりは、嘘をついてもらった方がありがたいくらいだ。だんまりを決め込むというのは、権威に対する昂然たる挑戦だからね。そんなことをしてどんな得がある?」

真田十勇士

実は『新八犬伝』は番組中盤辺りからの参戦であった為、ストーリーの全容は同時期にNHKから出版されていたノベライズ版を遡って補完していたのであった。
確かに夢中になってはいたのだが、どうも「乗り遅れた感」があって、現在でも堂々自分のフェイバリット番組とは胸を張って表明出来ないのは事実だ。

で、結論を言ってしまうと、やはり後続番組となる柴田錬三郎原作の『真田十勇士』(75年4月~77年3月)こそが私にとって最高の「NHK人形劇」であり、小説、映画、漫画等、あまたある十勇士物の中でもダントツの存在となっている。これもひとえに放送第1回から最終話までリアルタイムで鑑賞し続けてきたという「関わった時間の長さと受け手としての積極果敢な情熱」の絶対的分量の結果であろう。

本作は、それら過去の様々な十勇士物をタタキ台にし、かなり斬新な設定となっている。
まず、主人公である十勇士の筆頭・猿飛佐助だが、その出自は武田勝頼の忘れ形見という荒唐無稽さだった。同じく、三好晴海入道は石川五右衛門の遺児、霧隠才蔵と筧十蔵は外国人(イギリスと明国)、高野小天狗に至っては高野山のカラス天狗がその実体である。まったく破天荒にもほどがある。
こうした柴錬オリジナルの型破りな新設定が古典的な歴史群像劇により重厚さとダイナミズムを増幅させているのだ。事実これぐらいのインパクトがないと、夕方6時の夕食時に当時のすれっからしのマンガ・特撮・アニメ世代の餓鬼共を惹き付けることは不可能だったのではないかと今にして思う。

しかし、いくら無茶苦茶な設定を取り入れたとしても、所詮本編は歴史物語である。事実に基づいた確固たる「お約束」はきっちりと押さえなくてはならない。過去の歴史を塗り変えることは出来ないのだ。事実に反すれば途端に子供騙しの茶番と化してしまう。だから、大阪夏の陣で豊臣方の真田幸村が勝利することは決して有り得ない。
最後は滅亡してしまう主君に仕え身を挺して活躍する魅力的な主人公たち...彼らの行く末は、当時の子供にとっては実に残酷でやるせない現実として待ち受けている。絶望的な結末。それがわかっていながらも、私たちは波瀾万丈なストーリーに胸をときめかせて毎夕の放映を食い入るように追っていた。

そこには作家の想像力という翼で際限なく嘘の付けるSFや近未来物のように「ファンタジー」という名の免罪符によるご都合主義的な逃げ道は用意されていない。ストーリーや登場人物たちはすでに明確に答えの出ている終末に向かって鮮烈な残像を残しながらただひたすら駆け抜けてゆくだけだ。
だが、逆説的にその足枷の不自由さが時代物の面白さでもある。いかに史実をねじ曲げずにその狭間でオリジナリティという創作的大風呂敷を広げられるか...これは後年、柴錬や山田風太郎といった突出した才能の作家たちが意識的に標榜していたテーマだったと知ることになるのだが、私はそのような醍醐味をすでにこの『真田十勇士』のお陰で少年時代に心ゆくまで味わっていたと言える。

あとは何と言っても『新八犬伝』から引き続き担当した辻村ジュサブロー(寿三郎)先生の手による人形たちの魅力が大きかった。日本の伝統的な美と、絢爛たるヨーロッパ風デカダンスの融合とでもいうべきか、その造形はまだ少年の中に眠っていた性的な高揚を呼び起こすほどの妖婉さに満ちていた。

柴錬とジュサブロー。希代の両作家のダンディズムの激突が本作を豊饒なる歴史絵巻へと昇華させたのは言うまでもない。また、これを子供向け番組として放映していたという事実が凄い。

___09_佐助

ひとり ひとり カムイ~(おミズの声で)

昨夜どうしても『カムイ外伝』の「心旅」が読みたくなり、その勢いで朝まで掛けて文庫版全12巻を一気に再読してしまった。やはりいいな...滲みるぜ。最近ヤケに涙もろくなってきてるから余計にねえ...。

そういえば、なんだか映画化がどうのこうのって話を随分前に聞いていたが、予告編を発見。



原作は「スガルの島」か。さてはエキゾチシズムに活路を見出したか...出来るものなら「盗人宿」あたりにでもトライして欲しかったが、竜神の安兵衛を演じられるような渋い初老の役者なんて今の日本には皆無だからなあ。やはり若い女優で誤摩化すしかないのか。

実は製作発表時から今回の映画化を危惧していたのだ。「崔監督、宮藤さん、本当に大丈夫なんでしょうね?」と。予告編だけ見ると結構サマになってそうだけど、まだ本編を観るまでは油断出来ない。

なんで私が今回こんなにエラそうかと言うと、この年齢にしてすでにカムイに関しては30年以上の時間と身銭を費やして現在まで付き合い続けているのである。情熱と時間と投資額は思い入れに比例するのだ。
だから、ハンパなものが作られたらボロカスに文句言う資格はあると思っている。無論、映画館でキッチリ木戸銭払って鑑賞した上での話だ。それが「芸術」に対する実直な接し方であろう。

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列車はゆく、俺の骨を載せて

まさに「多羅尾伴内 vs 明智小五郎」。さすがの天知茂も御大の前ではひよっこに見えてしまう。
ラストシーンで煙草に火を着けたあとのギラついた上目遣いなんてたまらない。
はたしてこんな目ができる役者が今現在いるだろうか? いねぇだろうな~。



では千恵蔵先生の強烈な最期を、山田風太郎の『人間臨終図鑑』より抜粋。
豪放磊落かつ、寂寥感あふれる人生の終着駅。

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 戦前戦後の時代劇の「御大」の一人、片岡千恵蔵は、昭和五十七年九月九日、やはり生き残りの御大の一人市川右太衛門と二人で、NHK「この人」に出演した。二人で「侍ニッポン」をデュエットしてみせたりしたが、闊達な右太衛門にくらべて、若い日「明朗時代劇」で売った千恵蔵はどこか憂愁の翳が感じられた。
 実はその七月に「肺ガン」の診断を受けていたのである。むろん彼には知らされていなかったが、八月から入院中の身であったのだ。
 このテレビ出演のあとも入退院をくりかえし、慈恵会医大病院から離れられなくなり、翌五十八年に入ると口もきけず、ただ紙にみみずのような文字で「南無妙法蓮華経」など書くようになった。

 ところが二月十三日になって、突然しっかりした声で法華経を唱えはじめ、「バカ騒ぎしなけりゃ棺桶にはいれねぇ、これから伊東へつれてゆけ」といい出した。伊東とは東映の某知人の家という意味であった。そこへ車で運ばれた千恵蔵は、憑かれたように八時間にわたって自分の人生を語ったが、そのあと二十時間も昏睡状態におちた。
 そして三月三十一日午前十一時十一分に死んだ。肺ガンで入院したのだが、直接の死因は腎不全であった。

 一代ほとんどスターで過ごした千恵蔵は京都の七千坪の本邸をはじめ多くの別邸や店舗その他財を残したが、最後の二十余年は妻のいる本邸にはよりつかず、名古屋で愛人と暮し、彼の最期をみとったのもこの愛人であった。しかし彼女には遺骨の一片も与えられなかった。遺骨は名古屋を石のごとく無視して通過し京都へ送られていった。


人間臨終図巻〈3〉人間臨終図巻〈3〉
(1996/12)
山田 風太郎



Per un pugno di dollari

どれだけ黒澤明監督のオリジナル作品が素晴らしかろうと(そもそも今さら私ごときが「偉大なる世界のクロサワ!」なんて、ここで改めて声高に絶賛する必要もなかろう)劇中での三船敏郎の存在が圧倒的であろうと、私の全人生の中に於ける「用心棒」と名の付く存在は嘘偽りなく永遠に彼が筆頭なのである。



親父が西部劇などのガンアクションや戦争物といった、今思えば「シンプル」なドンパチ映画が大好きだった影響で、子供の頃から晩酌と共にテレビの洋画劇場に付き合わされていた(もっとも親父は異常なほど性急で飽きっぽい性格故に、何時も最後まで鑑賞出来ずにさっさと寝くたれてしまっていたが)。

よって、私が物心ついて初めて目の当たりにした「用心棒」とは、当時無名のイタリア人監督がスペインをロケ地にして日本映画の名作をアメリカの西部劇風に解釈したというケッタイな映画(のちに黒澤はセルジオ・レオーネ監督らを著作権侵害で訴え勝訴し、アジアでの配給権と全世界での興行収益の15%分のアガリを得ることで合意したそうな)であり、そこに登場する長身のテレビ向け米国人俳優の虚無的な佇まい、そしてリアリティのかけらもない大量虐殺シーンと、矢鱈ド派手なガン捌きだった。
これは誰が何と言おうと絶対に曲げられない私の体内に刻まれた確固たる事実であり歴史である。

無論、『血の収穫』なる米国の古い探偵小説の存在を知るのは、もっともっとずっと後の話だ。
(クロサワも結局はレオーネと同じ穴のムジナだった...しかし、個人的には物作りの上でのこういった「循環」はあって然るべきだろうと思っている)

ところで、あとからいろいろ勉強したことによって過去の「自分史」を都合良く、いとも容易に書き換えてしまう人って結構いますよね。この辺のメカニズムについてはまた改めて記したいと思います。

昔々、メリケン国で

"Once Upon a Time in America" の劇中に流れるEnnio Morriconeによる「デボラのテーマ」。



年老いたヌードルス(デ・ニーロ)が、少年時代から恋したデボラを回想するシーンを思い出す。「アマポーラ」を伴奏にベッドルームで踊る女優志願の少女。それを壁の穴から見つめる悪漢予備軍の少年。
30年の月日を経て再会する二人。やがてヌードルスは残酷な過去の真実を知る事となる。

この曲を聴くだけで劇中の様々なシーンが脳内で躍動し始めて、ぞくぞくと鳥肌が立ちます(こういう瞬間を「泣ける」なんて手垢の付いた陳腐な言葉で濁してたまるかい)。

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